網膜剥離日記4/手術後の夜〜翌朝
結論から言いますと一番キツい記憶があるのがこの夜なワケですが、帰宅のためのタクシーから実は泣くほどしんどかったです。
なにせもうめちゃくちゃ揺れる。急ブレーキに急発信でぐらんぐらん揺れ、ぐいんぐいん曲がって追い抜くものだから、近頃電車でも酔うレベルの三半規管があやうく死にかけました。
後部座席で寝たり起きたりを繰り返しながら俺……死ぬの……? と思っているうちに自宅に着いていた。フラッフラしながらよたよたと階段を登って何とか帰宅。既に17時をだいぶ過ぎていたものの、さっぱど腹が減らず試しにうつぶせに寝てみて、CMで聞いた「LADY」を枕の中で歌っていました。『ガラスの仮面』の「奇跡の人」で三重苦のヘレンの一人遊びとして爪を弾くシーンがありましたけども、視界が不自由で体も動かせないとなると声を出すくらいしかできることがないものですね。
吐き気もほどよく落ち着いてきたところで、自動再生で延々流れる米津を止めてPCを出し、懐かしのマシノワドラマCDを聞きながらお食事。ギジミサだいすき。お腹が落ち着くまでテーブルにうつぶせてマシノワを聞き、終わったところでPCを閉じてうつ伏せで布団の上に横たわってみました。
が、なんか息苦しくて耐えられずに起き上がってしまいました。親が送ってくれた百均のU字ネックピローが低くて鼻や口が布団スレスレなんだけど、巻いたタオルなど下に入れてみても柔軟剤の匂いが何だか妙に鼻について気持ち悪い。胸が無駄にデカくて首元が詰まり、扱いがわからなくなったのもあって軽いパニック状態となり、元Nsの母についLINEなど送ってしまいました。
「息苦しくて寝付けなくて、ちゃんと眠れるかわからなくて怖くなってしまった。せめて右向きになれたらいいのに今日はダメらしい」と送ったところ「怖いなら無理に寝ずに気晴らししなさい」との返事をもらい、心の中のジョージ・ジョースターも「逆に考えるんだ、寝なくたっていいさって」と言ってくれたので寝るのを諦めました。
それで何してたのっていうと、スケッチブックを出して描きかけの絵の続きを描いてみたり、般若心経を写してみたり、ここまでの経緯を手書きでまとめたりして過ごしていました。朝7時を過ぎた頃合いから机につっぷして居眠りみたいなのは度々し、これからフォローアップしてくれるA眼科に朝一番で受診しに行きます。
Ns「今日から消炎目薬と除菌目薬、そして眼軟膏です」
わし(来た……)
Ns「チューブを掌に握り込んで少し温めてあげると、軟らかくなって塗りやすくなりますよ。あっかんべーして下瞼に載せたら、瞬きして目に塗ります」
で、やってもらったんですが瞼がねっっっ……とり重くなる眼軟膏。誰だよ目に軟膏塗ろうとか言い出した奴。それだけよく効くということなのかもしれないけども。
Dr「じゃ、また明日来て経過見ましょうね」
わし(えっ毎日来んの?)
基本うつむき姿勢保持が必須なので、公共交通機関はおろか長時間の歩行も望ましくはない。となれば行きも帰りもタクシーしかなく、急にエスライドのヘビーユーザーになってしまいました。
いや、逆に考えようぜ。タクじゃないと厳しい距離だったからこそタクにしようと思い切れたし、移動中もうつむきを保てたんじゃないか。
そして何より嬉しかったのが、右向き寝(右側臥位)の解禁。帰ってきて速攻右向きでぐっすり眠りました。
次回からは2週間のうつむき期間。右向きかうつぶせしか許されない暮らしとは? 眼帯はいつ取れるん? 何よこの痛み! とにかくなんか、なんもないはずなのになんかかんかある2週間、乞うご期待!
サポートをいただけると、私が貯金通帳の残高を気にする回数がとっても減ります。あと夕飯のおかずがたぶん増えます。