記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【ネタバレ注意】「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の個人的感想・考察・まとめ【ネタバレ注意】

公開初日、2021/03/08 に「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観ました。普段は個人でゲーム制作の記録をつけている者です。

これまでの記事と全く関係のない内容ですが、エヴァといえば観た後の考察も楽しみの醍醐味です。まだ観た直後で記憶が新鮮な内にこの気持ちを記録しておきたくて書くことにしました。また外部に出すことで他の誰かの考察の一助になれば幸いです。

これから感想・考察・まとめを書きます。
くれぐれもまだ「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観ていない方、これから観る予定の方、楽しみにしている方はご覧になられないことを強くオススメします。

また、私は一切エヴァの制作に関係のないファンです。これから書く内容も全て一個人の妄想・妄言・オタクの勝手な解釈に過ぎません。真偽も不明ですし間違いや解釈違いも大いに含まれている可能性が多分にあります。予めご了承頂ますようお願い深くお願いいたします。


ネタバレ、OKですか?


そろそろ書きますよ?





目次

■冬月先生の目的/8号機とアダムスの器

 私には「自分の教え子達の行く末を見届けること」のように感じました。一見すると冬月先生はゲンドウ側にばかり肩入れしているように見えますが、私はそうは感じません。

 碇ユイ、ゲンドウ、マリは新劇場版で出た以下の写真から分かるように冬月先生がまだ大学に居た頃の教え子達です。

画像3

恐らく、この手前に映っているメガネをかけた女性がマリ。

 実際にゲンドウの独白のシーンでは一瞬ですが学生時代のユイ、ゲンドウ、そしてマリが戯れている手書きのカットが映されました。マリがゲンドウのことを「ゲンドウ君」、冬月のことを「冬月先生」と呼ぶことからも確定でしょう。

 冬月先生は「形而上生物学」という分野で教鞭を取っていたようですがその教えを受けた3人がそれぞれ違う道を選択していきました。色々な経緯があってエヴァに関わったであろうところまでは同じですが

 人類の希望を信じて初号機と同化したユイ
 人類に絶望し自らが中心となって人類補完計画を進めるゲンドウ
 希望を信じたユイと、ユイの忘れ形見であるシンジを救いたいマリ

同じ教えの元で育ち、同じエヴァに関わっていながら、教え子たちは三者三様の選択となりました。

既に初号機と同化してしまったユイに対しては正直あまり出来ることはありません。ですがそれでもQではわざわざシンジにユイの話をしていましたし、作中何度もユイに語りかけるシーンが印象的でした。

ゲンドウには言わずもがな、常に寄り添い彼の計画のサポートをしていました。L結界密度が濃い場所で生身のまま、最終的にLCLになることもいとわずゲンドウのそばに居続けたのは冬月先生だけです。

そしてマリには最後にアダムスの器たる、Mark.9、10、12を用意して託しています。この器を吸収することで8号機は天使の輪を複数持ち、ラストで裏宇宙までシンジくんを迎えにいけるだけの力を獲得出来たと私は受け止めました。

画像4

画像5

エヴァは進化し、神に近づくと輪っかのようなものが出ます。作中では最終的に4体分のエヴァを吸収したマリの8号機の背中には4つの輪っかが具現化していました。

破では「擬似シン化第1覚醒形態」という名前が初号機にはつけられています。人間の持つ知恵の実と、使徒の持つ力の実を併せ持つ存在になること=エヴァの世界で言うところの神的存在に近づく行為なのでしょう。天使には輪っかがあり、天使は神の御使いです。

8号機が一体どういう原理でMark 9たちを捕食し取り込んだのかはまだまだ謎が残る部分ですが、4つ分の天使の力=神に近しい力を持つことでマリは結果的にシンジの元にたどり着くことができました。

こうしてみると、冬月先生ってめっちゃ教え子に優しくないですか?
自分が教えたことが、結果的にエヴァの創造と今の世界を導いてしまった。であれば可能な限り見届け、可能な限り可能性を残そう、見届けよう。そんな風に冬月先生の姿は私には見えました。

■アダムスの器と2号機の覚醒/天使になる条件

アダムスの器 とはアダムそのものではなく、アダムの子供、あるいは天使的な存在である。そして「器」なのでそこに魂を注ぐ=パイロットが乗ることで初めて天使として機能する。そう解釈すれば、なーんだ要するにエヴァと一緒じゃん。ということで簡単な理解としては筋は通ると思いました。

ただここで厄介になってくるのがエヴァの覚醒です。
一度、初号機と、今作で恐らく2号機も覚醒したと思われる描写があったので、そこを整理したいと思います。

まず、初号機が覚醒するためにはゼルエルを吸収し綾波の魂が同居することがトリガーでした。

【初号機】+【シンジ】+【ゼルエル】+【綾波(リリス=使徒の魂)】
 = 疑似シン化

エヴァと人間、使徒の体と使徒の魂が揃うことで覚醒しています。

次に2号機を見てみます。2号機が13号機に取り付いた時に明らかに覚醒状態、あるいはそれに近い状態になっていました。これはアスカがリミッターを解除し、左目に抑え込んでいた同化した使徒を開放、エンジェルブラッド=使徒の血をエヴァに注入することがトリガーとなっていました。

【2号機】+【アスカ】+【エンジェルブラッド=使徒の血】
+【第9使徒(アスカと同化中】=疑似シン化


またアスカは劇中で綾波と同じく人工的に作られた存在、綾波と近しい存在であることが語られました。つまりアスカ≒綾波とも言える存在です。

分かりやすく簡略化すると

【エヴァ】+【人間】+【使徒の肉体】+【使徒の魂】

= \天使 or 神的存在!/

という図式で概ね合ってると思います。人間は知恵の実を持っていますし、使徒は力の実を持っています。両方を併せ持った存在=神ということでしょう。

ではアダムスの器ってなんでしょうか?

アダムスの器=Mark9 , 10 , 12 が居ますが皆天使の輪っか的を1個だけ発動させていました。つまり

エヴァ+人間+使徒の肉体+使徒の魂= \天使 or 神的存在!/

の図式が一応は揃っているということになります。ここで鍵になるのが恐らくダミープラグとアヤナミレイ(仮称)の存在です。

ダミープラグはカヲル=第一使徒であるアダムの魂を擬似的に再現したものと言われています。そしてアヤナミレイ(仮称)はオリジナルの綾波のクローンだと言われています。(アダムスの器には恐らくアヤナミタイプが載せられている)

Mark9 + (綾波≒アヤナミ )+ (ダミープラグ≒使徒の魂)

これで一応は図式が成立します。足りないのは使徒の肉体ですが、これが恐らくアダムスなのだと私は思いました。

画像6

これですね。4体いますので、Mark 9,10,12 がアダムスを素体に使った特別なエヴァだと考えています。

4体中3体を使用したので残りは1体。この最後の1体がどこに使われてたのか、考えてみるのも面白いですね。

ちなみに私はMark9がヴンダーに取り付いて同化し乗っ取ろうとする場面がありましたので、アダムス達にはそのような同化する能力があるのかなと思いました。そう考えると、劇中で同化したり再生する能力を使ったエヴァは1体だけ、そう8号機だけになります。

ですが、Qで13号機が槍を抜こうとする場面では明確に「アダムスの生き残り」と表現されていましたので、13号機はアダムス由来の可能性が高いという考察もあり、ここは私もまだ結論を出せていません。ますます8号機の設定は謎が深まりますね。

ちなみに13号機は、

13号機≒アダムス+ゲンドウ+使徒化したアスカ=神的存在

で設定としては成り立っている思われます。アスカがどのカテゴリーに含まれるのか、ネブカドネザルの鍵を使いもはや普通の人間ではなくなったゲンドウはどのカテゴリに入れればいいのかなど、設定の深堀りをすれば謎が残りますが、ここはざっくりと「条件が揃ったんだな」ということが理解できれば作品の意味を理解するには十分だと思います。

■なぜ最後に選ばれたのはマリだったのか?

私はマリ=庵野監督の奥様かな?と思いました。

庵野監督の奥様は安野モヨコさんです。働きマンなどで有名な漫画家さんですね。

庵野監督がまだ原作のアニメ版を製作されている時には独身です。このアニメ版作成の頃、監督が産みの苦しみと激務から精神を病まれたことは有名な話です。

今回の新劇場版でもQ製作時には同様に精神的にキツい時期があったとインタビューで語られています。しかし、今回は奥様がいてくださったおかげで無事に乗り切ることができたとも監督はご自身の口で語られています。また公私ともに事あるごとに奥様への感謝を言葉にされるシーンが印象的です。

スタッフロールを見ると安野モヨコさんのお名前もしっかりクレジットされていますし、劇中では第三村の絵本の作者が安野モヨコさんになっていたりもしましたね。

シンジ、レイ、アスカ、ミサトという名前は庵野監督ご自身のご友人に縁のある名前だという話をどこかで読んだことがあります(漫画だったかな。)マリの設定が果たしてその頃から存在していたかどうか、我々には知る由もありませんが、少なくとも漫画版にはマリは登場していますね。

マリは新劇場版から登場し、基本的には裏方ですがシン・エヴァでは一気にスポットが当たりました。シンジを最後に迎えにいくのも、ラストで手を取ってともに歩き出すのもマリです。

根拠となるソースはあまりなくそれくらいなのですが、私が受けた印象としてはマリ=奥様なんじゃないかなぁと。巨乳のいい女という意味では、働きマンの主人公とも一致しますし?

でも昔からのファンとしては意外でしたね。マリにはたくさんの謎が秘められたまま終わった気がします。でもアスカとケンケンのカップルもそれはそれで嬉しくなりました。アスカとシンジがちゃんとお互いの好きだった気持ちを伝えあったシーンがあったことも本当に良かったと思います。

■なぜインパクト時の巨大化綾波はリアルな人間の顔だったの?

「エヴァ世界側から見たイマジナリー=想像の産物=現実」だからだと思います。

 作中でゲンドウがインパクト発動時に、「イマジナリー」というワードを使ったと思います。アニメや映画に登場するキャラクターは我々現実世界に生きる人間からすれば「イマジナリー=想像上の産物」です。であればその逆も成り立つはずで、ゲンドウたちエヴァ世界の人間たちにとっての「イマジナリー=現実の産物」という解釈はできないでしょうか?

 Qのラストでリリス(orアダム)の肉体は失われており、アニメ版のラストで「アニメ中での実体」は存在しません。

画像1

これですね。インパクトを起こす儀式にはやはり必要不可欠のようです。

 であれば、実体のない状態でインパクトに必要な巨大化した綾波的なものを創造した結果、「ゲンドウにとってのイマジナリー」=「現実に近い形」=「まるで実物の人間のようにリアルな巨大な綾波」が生成されたと考えればしっくりくると感じました。

あとメタ的なことを言えば、映像表現として面白いからというのもあると思います。恐らく「どっちも」が理由だと私は受け止めました。

■なんか13号機と初号機が戦う場面が色々移り変わっていったけどどういう意味?

「裏宇宙を私達が認識しやすいように表現するため」だと思います。

これはゲンドウ自身が説明をしていますが、アナザーインパクトを起こした結果ゲンドウとシンジは裏宇宙と呼ばれる空間で対峙することになりました。

 「裏宇宙」と言われても我々は頭の中でイメージすることが出来ません。当然です。そんなものは誰も知らないし見たことも聞いたこともないからです。そしてそれはゲンドウ達も同じです。ですが、会話を始めるためにはお互いの姿形を認識することから始める必要があります。

なので、一旦同じ土俵・目線に立って話をするためには、お互いが共通認識として知っている場所をイメージする必要があったわけです。

初めは第3新東京市でエヴァ初号機が出撃するシーンから始まりました。初号機と13号機と戦う内次第に第3新東京市は目に見えて嘘っぽくなり、特撮映画の撮影舞台のように変わります。これも実際の第3新東京市ではなく、「あくまで分かりやすくするために便宜的に整えた舞台だよ」という演出だと私は受け取りました。

ミサトさんの獺祭の酒瓶とゴミにまみれた部屋で戦うシーンには自然と笑みがこぼれましたが、要は「お互いが同じ場所だと認識さえできればどこでもいいよ」ということです。

画像2

まさかここが戦場になるとはこの頃のミサトさんは思うまいw

■裏宇宙/ラストが実写だった理由/DSSチョーカー

 裏宇宙とは神となった存在だけがたどり着ける領域。運命を世界自体を変更出来る場所。デバッグルーム。そしてひいては私達リアルの人間のいる世界、ファンや製作者側に通じる世界ではないかと感じました。

エヴァはものすごく簡単に表現すれば

 使徒を倒し、儀式を行い、神となって世界を変える物語

です。使徒を倒し、儀式を行い、神となるためには絶対にエヴァが必要です。ですが、エヴァ世界の人間たちはそのエヴァという存在に大いに振り回され苦しめられ、運命を弄ばれることになります。

エヴァの世界を作り変え、運命を変えるには神となり世界の理そのものを変更しなくてはいけない。ゲンドウが目指した目標でもありますが、結局ゲンドウはシンジと対話し独白の末にその執行者の座を降りることになりました。

シンジが願ったのはエヴァが存在しない世界。誰もエヴァに振り回されない世界。それは言わばエヴァが実在しない世界=現実の世界であるという暗喩のように私には感じました。

ラストでシンジはマリの手によって首につけていたDSSチョーカーを外されました。カヲルが告げたようにDSSチョーカーはリリンの呪いであり、シンジが行ったこと=ニアサードインパクトへの罪の象徴です。その罪の象徴が外れたということは、シンジはエヴァの居ない世界を願い実現させることで、自分の罪を償えたという意味にも思えました。

そしてそれは、ともすれば庵野監督自身の胸中ともシンクロするように思います。エヴァが世に誕生して25年間、最もエヴァの呪縛を受け、エヴァに振り回され運命を弄ばれたのは庵野監督に他ならないでしょう。

劇中で独白をするゲンドウの姿はアニメ版のシンジのようでもあり、庵野監督自身の苦悩の独白のようでもありました。ですがゲンドウ=庵野監督は列車を降り、シンジ=次の世代にエヴァを託す。そんなバトンタッチのようにも私の目には映ったのです。

■NEON GENESISに込められた意味/敢えて残された余白たち

NEON GENESISとは次の世代という意味だそうです。

スタジオカラーのドキュメンタリー映像、「庵野さんと僕らの向こう見ずな挑戦」にはスタジオカラーで働く若いスタッフたちが日々奮闘する姿が収められています。

彼らが皆、口を揃えて語ったのは「エヴァをやりたいです」という言葉でした。25年間の間にエヴァを見て育った世代が若手となって業界に入ってきている。その事実を庵野監督ご自身が知らないはずはありません。

ですが、エヴァは原作のアニメ、旧劇場版があまりにも難解かつ(良い意味でも悪い意味でも)ぶっ飛んでいたため、なかなか本筋の作品が作りづらい状況にあったように思います。

「ヤマト、ガンダム、そしてエヴァがきたが、その後エヴァを超えるものは現れなかった」とは庵野監督の言葉です。またガンダムのようにその後の派生作品やスピンオフ作品が無数に誕生するようなプラットフォームもありません。言わばエヴァは大変余白が少ない作品だったのです。

ですが、今回の新劇場版4部作を終えてたくさんの余白を残しつつ、きれいに終わってくれたように思います。

シンジが主人公の物語としてはこれで終わりですが、彼が眠っていた14年間に何が起こったのかは映像ではほとんど語られていません。8号機やマリの生い立ち、繰り返しの謎など、エヴァはたくさんの余白を残していってくれました。

時々、風呂敷を広げるだけ広げて畳まずに終わるからエヴァは嫌いだとか、監督は何も考えていないといった論調も見かけますが私はそうは思いません。アニメ版の頃はそう言われても仕方ない部分もありましたが、今回の新劇場版は明らかに意図的に余白を残したのだと私は思いました。

絵を書く、物語を紡ぐ、イメージを具現化するためには緻密な設定と背景が必要です。確固たる設定がなければ整合性を保ったままキレイに終わらせることなんて出来ません。

こうして私のようなオタクファンが楽しめるように、次の世代のクリエイター達が「次のエヴァ」を作れるように、敢えて残された余白、いわば庵野監督からの置き土産、宿題なのだと思いました。

■最後に

まずは制作に関わった全ての方に、1ファンからささやかですが心からの感謝を込めて。25年間本当にお疲れ様でした。

映画館で泣き、愛に溢れたストーリーで幸せに包まれ、家に帰ってパンフレットの声優さんのインタビューを読んでまたボロボロに泣きました。

第3村でトウジ・ケンスケ・ヒカリが生きていたことに涙し、シンジが「なんで皆そんなに優しいんだよ!!」と独白する姿に涙し、アヤナミレイ(仮称)の儚くも健気な姿と消えていく姿に涙し、ミサトさんの最後に涙し、ゲンドウの独白に涙し、ラストのシンジの笑顔に涙しました。

ファンが欲しかったもの、望んでいたものをちゃんと丁寧に描いてくれた、愛に溢れたラストだったと思います。ペンペンも大繁殖しててよかったねw

中学生の頃に原作のアニメ版を見て、旧劇場版を繰り返しみてその結末に精神的ダメージを負い、エヴァはどこか最後でひどい終わり方をしてまた物議を醸すんじゃないかという戸惑いをこの25年間拭えずにいました。

作品を繰り返し観るたびに一人一人のキャラが好きになり、最終的には全員のことが好きになりました。嫌いなキャラなんて1人もいません。だからこそ、皆に幸せな結末を迎えて欲しい。それだけが私が望むことでした。

今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は見事にそんな私の心に応えてくれた、愛に溢れた物語で終わってくれたと思っています。シンジはこんなにも愛されているということが劇中で明かされていくにつれて、それをまるで我が事のように思い嬉しい気持ちになりました。

本当に、本当にエヴァを好きでエヴァと一緒に今まで生きてきて良かったと思いました。

庵野監督、スタジオカラーの皆様、これからはエヴァに囚われない自由な活動を存分にされてください。ただの1ファンでしかありませんがいつまでも監督と皆様を応援しております。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?