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4つの呪文

4つの呪文を唱える。

1.無時間

2.無計画

3.無目的

4.無思考


無時間とは?

時間は決め事に過ぎない。我々はいつの間にか時間という概念を埋め込まれている。

しかし時間の概念のお陰でJRは非常に便利な交通システムとして世の中の役に立っている。
つまり時間は便利な道具と言えるのだ。

時間は社会を回す為の、社会人としての決め事に過ぎない。

自分が社会人でなくていい時は、本当にクソどうでもいいこと。

社会人である前に、一人の人間である。
この事実は翻ることはない。

本質的に時間はどうでもいい概念だ。
そんなものは無い。
自分のそばで、ハイハイと叫びながら一秒ごとに手拍子する人間がいたらゾッとする。

社会人である前に、一人の無時間な人間に戻るべきだ。

多分、戻るべき自分を忘れているはずだ。


無計画とは?

時間が存在しないのだから、計画も存在しない。

計画なんて絵に描いた餅である。

勝手に現実世界にガリガリと傷をつけてこうすべきだと地面に刻んでいるようなものだ。

現実は留まること無く、川の流れのように変化していく。
諸行無常というやつである。
計画というセメントで変化する現実が固まるわけがない。

計画によって何事かを成し遂げたと思っている人は危険だ。

本当に計画どおりだったと言えるのか?

行き当たりばったりで、必死で足掻いてどこかで助けられて、やっとの事なんとか収まったのでは?
だから運とか縁とか恩を大事にする。

成功者は後から自分の武勇伝を語り、計算通りだと自慢するものだ。

しかし成功は運の要素が大きいことがイグノーベル賞で証明されている。


無目的とは?

無計画なのだから、目的なんて無い。

それが正直な告白である。

我々は常にここに居る。
どこかに行くということは、今ここにいる自分から逃げたいときだ。

逃げようと思うのは勝手だが、幻想に逃げているので、うわの空でブツブツと何かを喋っているようなものだ。

今ここにいる自分の解決にはなっていない。

目的は社会人としての言い訳みたいなものだ。
現状はできていないが、いずれはこんな展開になりますよと言う説明。

いずれにせよ、目的は社会人ゆえの落とし前である。気が付かぬうちに社会に巻き込まれたのだ。
そういう時は自分の周りをよく見ることだ。

避難場所みたいな上手くかわす場所が見つかるかも知れない。その結果逃げることも可能だ。

なぜなら今この時に、具体的に対応しているからだ。

今という連続の中で自分も変化することは可能である。
体一つでできるのは一つの行動だけなのだ。
計画ではない。


「情報は並列化して誰でもアクセスできる時代。
誰かの理由のわからない計画に縛られるより、アイデアをいくつ具体化するか、それをいくつ試したかが大事。アイデアは小さいほど良い。小さければ実現のスピードも早く、計画も必要ない。」


無思考とは?

目的がないのだから考える必要もない。

ぼーっと世の中を眺めていたら、良いことや悪いことが目の前で展開してくる。

ベースはあくまでも無思考で何も無い状態である。まあ、この余裕が社会的な対応力というものになる。

無思考とはドーンと構えて、機転を利かすことだ。ブルース・リー曰く「feel don'tthink」である。

つまり、臨機応変に社会的な自分と個人的な自分を使い分けよう。それが出来ないといずれ破綻する。

だから、もう一度呪文を唱える。

無時間

無計画

無目的

無思考

それでも私たちは生きて存在している。

この呪文で本来の自分が回復してくる。

そうすれば、他の人より社会人のフリが上手くなる。100%社会人は破綻まっしぐらだ。

夏目漱石は社会人としての役目と個人の葛藤を小説「三四郎」「坊っちゃん」などで問いかけた。

我々の思考と行動のベースには無時間、無計画、無目的、無思考でも生きていける自由な個人がいるべきだ。

4つの呪文はそこに立ち返る人生の停止ボタンのようなものだ。そこで個人の活力を養おう。

社会的要請があるときだけ、村上春樹節を炸裂させて「ヤレヤレ」と心のなかで言いながら軽く腰を持ち上げるのが大人ってやつだ。

そのための呪文である。

ちなみにここまでの言語化を体現しているYouTuberがいました。
「おくりバントちゃんねる」です。
彼らは全てわかった上で、一周回っての極めて真面目なおふざけです。



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