5/19 早朝読書会 フランツ・カフカ『突然の散歩』レポ
読書会をやってみて
カフカ『突然の散歩』の読書会を6名でやりました。
夕暮れ時、家族の中にみんなもう外出しないという空気感がある中、夜突然外出すると思い立ち、友人の家を急に訪ねて「元気?」と挨拶するという迷惑千万な人の話でした。
この作品を読んで「関係の絶対性」という言葉を想起しました。批評家の吉本隆明は『マチウ書試論』の中でこの概念を提出しています。これは、人の目的や行動というのは「関係」に縛られており、当事者には不可避な状況にあり、いくら崇高な思想を持っていたとしても、関係の絶対性の前ではそんな思想は風前の灯火である、という考えです。これは吉本隆明が戦争を通じて得た考えのようで、どんなにいい人、優しい人であっても関係性のもとでは人を殺しうる可能性もあるということです。シモーヌ・ヴェイユも以下のように言っています。
確かにぼくらは関係の絶対性に縛られています。なぜ会社に行きたくないときに無断欠勤をしないかと言うと、会社の人達に迷惑がかかることを考えてのことです。また、家に帰りたくないにしても、だいたい心配されない範囲の時間で帰るし、ぼくたちの行動は他者との関係に縛られてばかりいます。そんな中で、『突然の散歩』の主人公は関係の絶対性に縛られず、自らのうちにある「パワー」のみで動くようになります。その結果、家族が実体のないものになり、孤独になったことにより、自分自身が確かな存在になっていく。そこに自由を感じることになります。
この主人公みたいな孤独に解き放たれた存在になり、その後孤独のまま生きていくのは生半可な精神力では難しいかもしれません。なので、ぼくは半分孤独で半分関係性の存在をめざすのがいいんじゃないかなと思っています。自身のすべてを関係にベットしてしまうと息苦しいし、孤独にベットすると不安でたまらなくなる。ただ、孤独と関係性のバランスが難しいですね。結局孤独でいても安心するのは、帰って来れる家族などの関係性があるから、ということになり、関係性の比重が大きくなりそうです。難しいです。
ご参加いただいた方の感想
あぶくさん
みなさんの意見を聞くと、1人で読んで分かっていた部分が分からなくなり、分からなかった部分が分かりまた分からなくなり、螺旋のようにぐるぐる回りながら理解が深まるのが面白いと感じます。 後からふと思い出して更に深まる、長く続く素敵な時間です。ありがとうございました。
はら たかし
まず、『突然の散歩』(カフカ)が、わずか2頁足らずの小編であることに吃驚していました。感想の交換で、さまざまの読み取りをお聞きして、それぞれの読者の問題意識がうっすらと伝わってきたように(僭越ですが)感じました。
この作品がカフカの作でないとしたら、別の感想もあり得たのではないでしょうか。 (つまり、軽く読み過ごしていたのではないのか、と。)
「カフカ作」ということで、私は読む前から、2頁足らずの小編に対して、ある種の文学的深みを「読んでいた」と言えそうです。
良い時間を過ごしました。ありがとうございました。
ymさん
しょうごさん
カフカの時間、聴き専ですがゆったり楽しみました。ありがとうございます。 映画ドライブ・マイカーの(ずっと言えなかった事が溢れてくる)描写と、本書との重なり話しが印象的でした。
まわりの空気を読まず、自分の内側から湧き出る力で動いてみる。そんなギャップの可笑しみをうまく捉えた作品だな、と。
また、孤独でいること、ひとりの時間も大事という話もでましたね。私も似たような所にいるかもしれない。思考や妄想を好きなように泳がせて文章にしたり、何食わぬ顔をしつつ現実と空想の乖離を味わう。ポーカーフェイス出来なくて顔に出てしまいますが、心と頭の中は自由でいたい。
今朝の読書会でみなさんの話しを聞きながら、人によって違う捉え方や発想の豊かさが楽しくて、ヒトリゴチました。「夜と霧」から着想した、何もかも残らなくなってから自分はどう生きるか。の話も沁み入りました。また参加させていただきたいです。
エスペランサさん
今日はどうもありがとうございました。
早朝のまだ頭が覚めきっていない状態でしたが、とても楽しかったです。
とても短い物語ですが、やはり他の方のお話を伺うと、物語の広がり、深まりがありますね!
自分は何に重きをおいて読んでいるのかが、確認できた気がします。
キーワードは、自由、可能性、関係性ですかね。
最後に皆さんの心に残った文章を伺えたのがよかったです。
また次回も楽しみにしています。
次回
不定期で開催していきます。
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