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7/13 早朝読書会 レベッカ・ブラウン『体の贈り物』から「汗の贈り物」 レポ

読書会をやってみて

レベッカ・ブラウン『体の贈り物』から「汗の贈り物」の読書会を8名でやりました。

『体の贈り物』は「エイズ患者を世話するホームケアを語り手とし、彼女と患者たちとの交流をめぐる、生と死の、喜びと悲しみの、希望と絶望の物語」です。

今回ははじめにある「汗の贈り物」という章をみんなで読み感想を言っていただきました。
その中の意見として、患者さんの立場からの意見、ケアをする立場からの意見、身体性や食べ物の効果、テーマ批評的な切り口、などなど様々な話に発展していきました。

ぼくは、まずケアという視点から考えてみました。イメージで大変恐縮ですがホームケアワーカーを必要とする患者さんは、外に出ることもできない、日常生活もままならない、孤独な状況に置かれていると思われます。その状況を想像するに患者さんとしては、「ホームケアワーカー」「患者」と言ったロールに縛られないような親密な関係が求められていると思います。しかし、読書会の中でも意見が出ましたがホームケアワーカーという立場に立ってみると、患者さんに深く入り込んでしまうと患者さんが亡くなったとき、精神的ダメージが大きいので、仕事として割り切ることも大切なようです。
これはホームケアワーカーだけでなく、エッセンシャルワーカーと呼ばれる仕事全般(保育、教育、介護など)に言えます。これらの仕事は感情と仕事のバランスが難しいと思います。

しかしこの作品では、ホームケアワーカーと患者さんが仕事という枠を超えて親密な関係性を築いています。単なるロールではなく、人と人の付き合いをしています。そんな中で作品に出てくる患者さんはケアを受けるだけではなく、何かを与えたいという気持ちにもなっていったのだと思います。
東畑開人の『居るのはつらいよ』という本の中でも、ケアは与えることだけではなく、受けることも相手をケアしていることになると書いていました。ケアの空間は一方的なものではなく相互的なものです。与えることが受けることになり、受けることが与えることみたいに「与えること」「受けること」の関係が曖昧になっていきます。

作品では患者さんがホームケアワーカーの「私」になにか与えようとして無理をしてしまいます。それが大量「汗」という身体の変化によって現れてきます。汗が出るときとはどんなときでしょうか。例えば暑いとき、運動したとき、体温が高いとき、など体に負荷がかかったときに出るものです。

エイズを患っている体でなにか与えようとすると、健康な人がすぐできることでもかなり体に負担がかかり難しくなる。それが大量の汗として現れてきます。ことばでは表現できないことが、汗によって思いが表現されている。これが汗の贈り物です。この汗はもう一つ、ホームケアワーカーの「私」が仕事を超えてどれだけケアをしてきたかの現れにもなっています。

読書会ではこの与えられたものを素直に受け取ることが大切だと、お話されていた方がいました。日本人の特徴かわかりませんが、恩を重荷に感じる事があると思います。でも、相手を救う、自分を救うには身を任せることも大切です。これは染み付いたものがあるのでちょっと難しいですが、どこかでこの考えを活かせればなと思います。

ご参加いただいた方の感想

Yukoさん
25年ほど前に初めて読んで、ぐっと心をつかまれた作品です。
折々に再読をしていましたが、今回また皆さんと読むことができ有意義な時間でした。 それぞれのバックボーン、経験からのお話に新たな気づきや、共感がたくさんあり、この作品への愛着が深まりました。
短い話の中に、多くの要素が含まれているのですね。
私がこの作品から何より感じたのは、尊厳ということでした。
失われていくもの、けれどかけがえのない瞬間。
リックが、私を驚かそうと楽しんでしつらえた朝食のテーブルが切なくも素晴らしい。
一連の短編をまた再読します。

ありがとうございました。

おおにしさん
最初、小説の背景が全くわからないまま読んだので、リックと主人公の関係が最後まで理解できなかったが、エイズ患者とその介護者の関係であることを知ってから再読したら、とても悲しい物語であった。そして、次第に小説の細部にピントが合ってきた。読書会で取り上げられた「シナモンロール」のほかに、リックの恋人?だった「バリー」のこと、「聖者の衣装」、「香炉」などリックの持ち物や、黒っぽかった「リックの汗」など、書ききれなかったエピソードがいくつも詰まった奥行きのある作品だと思う。

次回

不定期で開催します。


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