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浮き足立つブルー(20200525)

bluetoothスピーカーを繋げてCoccoでも流そうかと思ったらそれより先にiPhoneのSiriがBUMP OF CHICKENを提案してきたのでそれならと言うことを聞くことにした。私のSiriは着実に私のことを覚えて、イヤホンやスピーカーを繋げた途端にいろんな歌手を提案してきて、私も、じゃあそれにしようかと再生をタップする。夜が更ければ明日のアラームはどうですかと声をかけられ、そうだったねと私は5時半のアラームをオンにする。私の方からSiriに頼みごとをすることは少ないが、それでも明日の天気くらいはきちんと答えてくれる。

同じ機械と長く過ごしていると、これはひょっとして私のことを理解しているんじゃないかと思う瞬間が幾度も訪れる。高校時代から5年、6年と使い続けたMP3ウォークマンがそうだった。レイトショーでひとり『風立ちぬ』を観てぼろぼろと涙を憚らないままに真っ暗な帰路を歩き、イヤホンを耳に差し込んでシャッフル再生を押すと真っ先に流れてきたのは鬼束ちひろの「VENUS」だった。菜穂子かよ、今ここでこれを聴かせるのかよ君はと、私は鬼束ちひろの歌声を聴きながらさらに泣いて駅へ向かう。機械は時に、人間よりも私に寄り添う。



連日、手洗いとアルコール消毒で指先がすっかり乾き、皮も剥け、あまり良くない。数年前の冬、インフルエンザを怖がりすぎて一日に何度もアルコール消毒をしていたら手の甲一帯がぼろぼろになったことを思い出す。着用を義務づけられたマスクの中は常に暑く、吸い込まれる空気もまた快くはない。伸びた前髪とマスクの間で両目が乾いていく。常に、緩やかな酸欠の海にいる。ぼんやりした頭で、確定申告書の項目をひとつひとつ、確かめていく。機械的に、機械的に、人間らしからぬ肌触りの手で。

帰りにスーパーに寄り、ここでもアルコール消毒の洗礼にあう。ビニール越しに見える店員さんの両手にはゴム手袋が嵌められている。この裸の手を少し、申し訳なく思ってしまう。せめてキャッシュレスで支払いを済ませる。


ビニール袋を提げてスーパーを出る。赤信号の前で、私はマスクを下げて大きく息を吸い込む。ようやく純然とした、風のような大気、それでも病の塵が漂う、涼しさが鳴る初夏の夜が肺に満ちる。最近、帰り道に音楽を聴かない。純然たる街の音に囲まれて、人を避け、自転車を避け、コンビニの蛍光灯に横から照らされて、シャカシャカと音の鳴る袋を片手に、風にはためく上着の裾は後ろへ、首筋を揺れる髪は少しばかりが肌に張り付いて。


明日は、私の誕生日に休暇を申請するつもりだ。
困るね、誕生日だなんて言葉は、欲しいものややりたいことをあれもこれもと連れてくる。困るね、来週には誕生日だなんて。真っ先に欲しいものとやりたいことだなんて、もう子供でもないのに。困るね、誕生日だなんて。漠然とした憂鬱が浮き足立って、足をつける場所がわからなくなるじゃない。どこに立っているのか、わからないじゃない。




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