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YUKIはなんにも悪くない

20191201(Sun.)

最近はマーガレット・アトウッド『侍女の物語』を読んでいてこれが結構面白いのだけど、気づけば菅田将暉の舞台『カリギュラ』神戸公演が一週間後に迫っていて、もう一度戯曲と『シーシュポスの神話』あたりはおさらいしておくべきだろう。7月の終わりにチケットが当選してからというものわたしの夏と秋はアルベール・カミュに捧げられたようなものだ。おかげで学生時代に『異邦人』だけとりあえず読んで満足していたのがこのときになって一気に蔵書が増えた。新潮文庫のあの銀色の背表紙が本棚にあっても目立つ。

いきなり冬になってしまい慌ててクリーニングに出したマフラーとコートを取りに行って、ビニールを開けてみると青いコートの方にやたら糸くずがついていたり心なしか生地が毛羽立っていたりして、がっかりしてしまった。もう一年、粘ればよかったかな。それなりの値段で買ったものなのに。
明らかに髪の毛に近いような繊維が出てきたりして、クレームを入れてもわたしに非はないような気がしたけれど、クレームを入れたところでこの毛羽立ちは取れない。

その青いコートを羽織って、『マリッジ・ストーリー』を観に行った。離婚の話なのにマリッジ・ストーリーと題するところがユーモアなのか皮肉なのか、けれどこれは確かに結婚生活についての物語だった。結婚しなければ離婚は起こらないし、離婚の理由は結婚生活の中にある。
他者と人生を共にすることは、そもそも難しい。片方の行為は知らぬ間に搾取になっていたり、搾取を搾取と気づかぬまま生活だけが空虚に進んで行ったり、だけどもうお前のことは知らん何もかも許さん今この瞬間からお前は他人、絶対に他人、もう二度と顔を見せるな子供にも会わせるものかと突然のシャットダウンが起こるわけでもなく、ただ望まぬ方にばかり向かう離婚調停の難しさにふたりは途方に暮れていく。本当はふたりだけで解決するつもりだったことが他人の手に明け渡されてただの罵り合いになっていく。

実際、罵り合う。あのときこうだった、わたしはこうしたかった、だけどあなたは取り合わなかった、こうするって約束した、約束をしたつもりはない、そういう話をしただけだ、「約束」という言葉と「話」という言葉でふたりは噛み合わない。妻にとっては大きな覚悟で切り出してみた今後の自分の将来をないがしろにされたことへの怒りが忘れられず、夫にとっては「そんなつもりじゃなかった」の連続で逆に自分が軽んじられているように思えてきてそれがまた怒りを誘う。
ひどい言い合いだな、と思いつつ、目が離せなかった。こんなに率直に自分の怒りを相手にぶつけられるものかと、こんなに自分の言葉で自分の怒りを表明できるものかと、売り言葉に買い言葉の応酬に、わたしがいちばん苦手で、どうしてもできないことの全てが詰まっていて、正直、羨ましかった。

わたしは、敬意というものが根本的に理解できないのかもしれない。
仲のいい友達は少なくはあるが居る。頻繁に連絡を取り合う人もいるし、定期的に会う人もいる。誰もがわたしを学生の頃から知る人たちで、わたしが彼女たちと今でも仲良くいられるのは、共にした時間の長さがいちばん、寄与しているのだと思う。結局は、生身のわたしとどれほどの時間を過ごしたかに集約されるような気がする。
好きなものや趣味だけでは、わたしはその人に好奇心は抱きこそすれ敬意を払えるかと言われたら、正直言ってわからない。共通の趣味だけでは埋められないものは、確かにあると思う。

損得勘定で人間関係を決めてしまう自分のことが本当にいやだ。この人と仲良くなれたらいいことがあるかも、無意識にもそう思ってしまう自分が本当にいやだ。だからわたしは、きっと敬意がわからない。敬意を理解できず、その人への好奇心まで消えてしまえばわたしはいとも簡単にその人を手放す。もういらないと、物みたいに。
だから言い争いにもならない。わたしの頭の回転が遅くて瞬発力もないから即座に言い返せないから、というのもあるけれど、言い争いの手前、絡まれ始めた時点でもう、いらないと思う。
要らない。なんて感情だ、要らない。人を物のように捉えるわたしが人に嫌われるのも当然のことだろう。
だから、この映画の夫婦みたいに、相手の言葉に傷つきながらも応酬して言い返して涙まで流して生身の本音をぶつけあう場面を見るたびに、わたしはわたしのコンプレックスと向き合わざるを得ない。
対等な人間関係というものが、未だわからないままこんな歳になってしまった。

こんな自分でも、今まで何度も人間関係を壊してきても、新しい人と知り合うことがある。今度こそは敬意を持って、同じ失敗は繰り返さないようにと頑張ってはみるものの、どうせまた同じ轍だと指をさしてくる自分がいて正直怖くてたまらない。人と関わることは困難だ。関わる相手も少ないくせに、それでも困難だ。
また部屋に逃げ帰ってしまう。

いい映画だった、観てよかった、だけどわたしは一生結婚はできないだろう。あんなに深く人と関わることは、どれだけ羨ましくてもできそうにない。心配しなくても誰もわたしを好きになんてならない。今は、わたしはわたしの面倒を見よう。どうせ、自分の面倒を見るだけで精一杯なんだ。

帰りに本を一冊とUNITED TOKYOで黒のタートルネックニットを一着買って帰った。ユニクロで適当にコーデュロイスカートでも探そうかと思っていたことは忘れた。黒のタートルネックばかりが増えていく。部屋に帰ってYUKIのベストアルバムを流す。かつて仲が良かった子、そして縁を切ってしまった子がいつもYUKIを聴いていたことを思い出して、いつまでも心臓から剥がれない後悔に息が詰まって涙が滲む。YUKIはなんにも悪くないのに。

読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。