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傘を伝い手を濡らす雨 / 20201102

傘を差していても手が濡れる。傘の持ち手を掴んでいる左手が濡れている。傘の柄か、ビニールかが、どこかで壊れたのだろう。それなりの値段で買ったとはいえ、ビニール傘の強度の範囲からは出ることはできない。私は体は平気なまま、手ばかりが濡れていく奇妙さに、横断歩道の前で立ち尽くす。

傘を差していて手が濡れるのは、初めてのことじゃない。中学時代、高校時代とそれぞれ3年間使い続けた傘もまた柄の先が割れて、そこから雨水が伝って手が濡れた。故郷の雨は冷たく、音もなく、私の左手だけを狙いすませて、降った。

傘の寿命が近い。けれど、この傘以上に愛する傘などこの世に存在しない。だから本当に、どうしようもなくなる時まで、この傘には付き合ってもらう。もう使い始めて何年? 4年は経つだろうか。



5時半にアラームが鳴ったが当然起き上がれずに7時で妥協した。朝から冷たい雨の降る街を歩いて病院へ行く。今日が有給出会ったことを覚えていたならもっと遅い時間に予約したのに、思っても仕方がない。全て忘れていたのは私なんだから。

診察はつつがない。薬の量が元に戻った私はたいそう元気、とまでは行かないが元に戻った。少なくとも、夏を迎える頃の私には戻った。けれど薬の量を自分勝手に変えてみて残ったのは、私はもう薬を減らしては自殺しかねない人間になってしまったという実感だけだった。そんな実感は、できれば持ちたくはなかった。薬なんて気休めで飲んでいるだけで、これを飲まなくなったところで私の生活には何ら影響なんて出ない、そう信じていたかった。信じていたかった。


雨が止まない中、映画館へ向かう。ビルの地下に入っているドトールでロイヤルミルクティーを飲みながら三島の評伝を読む。これまで読んできた三島作品の内容のほとんど全てを忘れた私が三島の評伝を読んでいる。『金閣寺』も『潮騒』も『仮面の告白』も『豊饒の海』も経た。全てを実家に送り返して、ほとんど全てを忘れた。同じ時期に谷崎も読んでいたはずだが、谷崎作品の内容はぼんやりとだが不思議に覚えているものが多い。私は三島由紀夫という人間に興味はあっても彼の作品にはそもそも興味がないのかもしれない。


『スパイの妻』を観た。黒沢監督の、蒼井優への全幅の信頼よ。そしてその全幅の信頼を一身に受けた蒼井優の目が据わった顔つきよ。同じようにカメラを向けられた前田敦子は怯えと恐怖とプレッシャーで顔を涙でぐしゃぐしゃにしていたというのに。あれはああいう映画だったから、いいのか。けれどあれにしてもこれにしても黒沢監督の映画はいつも音楽が大きいように思う。

本当はもう一本ほど観ていこうかと思っていたけれど、『スパイの妻』ですっかり疲れてしまった。雨が止まない。


帰りにスーパーで酒の肴になりそうな惣菜と見た目が雑な親子丼を買った。傘は私の左手を濡らし続けていた。部屋に帰り、親子丼をレンジにかけて一心に食べた。全然美味しくなかった。全然美味しくなくてよかった。どうでもいいものでお腹をいっぱいにしたかった。どうでもいいもので体を満たして眠ってしまいたかった。私はとても疲れたのだから。


また夢を見る。また猫が出てくる。『スパイの妻』の世界線を引き受けたような物語が展開される。私は観客の立場で夢を楽しんでいる。目が覚めると日は落ちて、今。惣菜を食べて酒を飲みながらこれを書いている。私は本当は酒なんてちっとも必要ではない。酒がなくても全く平気に生きていける。それなのに周囲は私を酒豪だと言う。顔色が全く変わらないからだそうだ。それは体質の問題でしかないのに。酒を飲むとき、私はいつも少しだけ悲しい。少しだけ。悲しみながら酒を飲んでいる。あるいは、悲しむために酒を飲んでいる。ちっとも必要ではないものを飲んで、私はいつも少し悲しい。


珍しく私にしては暴食している。それもまた、ちっとも必要ではないものを食べていて、投げやりなのか、悲しいのか、わからない。雨はもう止んだのかな。




読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。