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wasted nights.(20200529)

ひどい倦怠感、歩くのも困難なほどの疲労、部屋に帰ればソファに座って何時間も動けず、何も考えられず、何も食べる気になれずかろうじてシャワーを浴びて、SNSを追いかける気力もなく気絶するように眠ってしまう。その数日間から、ようやく抜け出すことができた気がする。


ゴールデンウィークが明けた頃から私はずっと紙切れ一枚に呪われてきた。何度作っても数字に不備があり、何度提出しても問い合わせが入り、そのたびにまた不備が上塗りされて見つかり、紙切れ一枚は私と上司と先輩の間を行ったり来たりして、3週間近くも私につきまとい続けた。数字に不備が見つかるたびに片手一掴みほどの生命力をもぎ取られ、先輩から問い合わせが入るたびに全身から力が抜けていく。なぜ。誰に問うてもわからない。なぜ。なぜまたここに戻ってくるの。紙切れ一枚のくせにどうしてここまで私につきまとうの。全ては私に能力が足りないせいなの。

その紙切れと、今度こそ縁が切れたと思う。まる一日経って、先輩は何も言ってこない。私は毎時毎秒祈っている。毎時毎秒の祈りのせいで、私は部屋に帰ると全てを使い果たしていることに気づく。


会社からは出社は週に一度に抑えるようにと命令が出ていたものの、決算部隊の誰も彼もはその命令をガン無視し、出社する。結局私も今週は気づけば毎日会社にいた。毎日会社にいて、毎時毎秒を祈っていた。


もうあの紙切れのことは忘れてもいいのかもしれない、確定申告のことも手を放していいのかもしれない、私は次のことに手をつけてもいいのかもしれない、そう思えた今日がやっと祈りを終えた。
フレックスを使って定時前に帰ろうと思っていたのに、上司に声をかけられたり皆が先に帰ったりしてしまって帰るに帰られず、結局定時のチャイムが鳴ると同時に会社を出た。金曜日の夕暮れはまだ明るく、私は梅田に向かって歩き出す。コロナ禍を知らなかった日々と比べるなら当然歩く人の数も少ないが、これでも増えてきているのかもしれない。私がいつも逆方向に、まっすぐ家に帰るばかりで何も見ずにいただけで。私の体は季節を忘れ、朝と夜の冷えのために羽織った布切れ一枚の上着ですらもう時期は過ぎたのだと今更に知る。
地下街は閉まっている店と、開けている店が半々。開けている飲食店はどこも閑散としていたが、どうにかして、テイクアウトを勧めようと店先のポスターやボードの押しが強い。この地下街で、気の置けない上司たちとアーリーアワーの飲み放題で延々話し込んでいたものだなと、その記憶がもはや嘘、霧散した記憶違いのように思える。思えば私は、今の部署に異動してきてからまだ一年と経っていないのだった。酒の席について思い出すのは、いつも前の部署の上司たちばかり。仕事の話が大好きだった、仕事の話しかしなかった、あの人たちの顔と声、笑顔ばかり。


およそ2ヶ月ぶりにやってきた大阪駅は確かに歩きやすかったものの、それでもまだこれだけの人が歩いているのかと慄きもする。改札の前で死んだように倒れ込んで眠っている人がいたけれど、酔うにも寝るにも早すぎる時間だ。何をしていたのだろう。

今週からルクアが営業を再開した。入り口でアルコール消毒をして、マスクの位置を少し直して中に入る。思った以上に人がいて、誰もが買い物袋を提げていた。待ち望んでいたような、買い物の風景が広がっていた。気持ちはわかる、だって私もその一人だから。だけど私たちは第二波、第三波の想像力が間に合わない。間に合わないままきっと、小規模爆発を繰り返して、そのたびに少し驚いてそそくさと家に帰り、またすぐ忘れて外に出て、を繰り返すのだろうと思う。

いつも行くお店でワンピースを買い、ユニクロでカーディガンを買った。これでやっと汚れた古いカーディガンを捨てられる。


土日は部屋に居ると思う。そういえばリモート飲み会の誘いが入っていたのだった。近所のワイン屋で瓶を一本わからないなりに選んで、食べ物はUber Eatsでどうにかしようと思う。繋げ方を、多分誰もきちんと理解していないまま当日が来る。

読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。