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不意に接近している淡い死の匂いで

20200105(Sun.)

高速道路を走っていると「緊急通報中」という電光パネルを搭載したオレンジ色の車がけたたましいサイレンを鳴らしながら走っていった。私たち家族の車はその爆音サイレンを先に行かせることでやり過ごして、音が遠ざかっていくにつれ私は後部座席で眠りに落ちた。
しばらく走って、またサイレンの音が聞こえ出して、私たちの車もなぜか徐行していくのを感じて私は再び目を覚ました。何気なく右側の窓の向こうに目をやると、車が一台大破していた。
フロント部分は完全に潰れてしまっていて、車の破片がそこらじゅうに散らばっていた。傍らにはあの爆音サイレン車が停まっていた。
大破した車の周辺にはその爆音サイレン車は停まっていたものの救急車とか、その類の車は停まっておらず、あの大破した車を運転していた人がどうなったのかはわからないまま私たちの車は通り過ぎていった。
衝突した車はなく一台だけで大破していたので、おそらく自損事故で、ハンドル操作を謝って一人で中央分離帯に突っ込んでしまったのかなと、ぼんやり思った。
初心者マークがついた車だった。運転手がどうなったのか、知らない。今夜のローカルニュースで一瞬くらい取り上げられているのかもしれないが、もうここは大阪で、遠く離れた富山の交通事故など永遠に知るすべもない。
そういえば、私が遠い昔に自動車免許の卒検に合格した時にもらったあの初心者マークのシールは一体どこに行ってしまっただろう。

臆また不意に接近している淡い死の匂いで
この一瞬がなお一層 鮮明に映えている
  椎名林檎「NIPPON」

死はふと、瞬間的にすぐ隣まで、接近する。不意に接近する。
今このとき、私は限りなく死に近付いていると感じる。不意に接近するものであるので、不意にまた遠ざかるものでもあると思う。だけど今このとき、私の周囲には死の匂いがする。
死の接近を思い、今年が偶数年であることに気づく。私は偶数の年に死に近づく。これは誰に説明してもうまくmake senceはしない感覚だろうとわかっている。
けれど、あの高速道路でも、この大阪の、狭くて寒い自室にも、死の匂いがする。
私自身が放っているのか、2020年という偶数年が空から降らせているのか、とにかく、今、私の隣に寄り添っているのは死以外に何もない。


帰省している間じゅう私を苦しめ続けた果てしなき鼻炎地獄と偏頭痛は晴れた大阪に帰ってきた途端綺麗さっぱり消し飛んでしまった。
私の体はもう故郷の気候には耐えられない。故郷をどれほど愛していても、私の体は移動を繰り返し、一年のほとんどを関西で過ごすようになって10年、体は作り変えられてしまった。
今は、これからは、ただ心だけで、故郷を思い、愛する他にすべはない。
どれだけ遠ざかっても、私の海はここにある。私の海は生涯たったひとつ、故郷の海。

全てはこの海で産まれていったの いつの日か還ってくるその日まで
  KOKIA 「I believe〜海の底から〜」

死の接近を思いながら、故郷の海の波音を聞く。
私が死んだら焼かれた骨の大半は家族の墓に入れてもらうことで異存はないが、一かけらの骨ひとつでも、あの海に投げ飛ばしてほしいと心から願う。渾身の力で、腕を大きく振りかぶって、もう二度と戻って来ないように、遠くへ、どうか、遠くまで。

今はただ、安らぎが。

海辺に打ち上げられた
亡骸を覚えている?
まるで珊瑚のような
自分を覚えている?
  Cocco 「珊瑚と花と」


読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。