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傘をさしている(20200615)

気づけば6月も半ばで、誕生日は2週間も背後に遠ざかり、憂いていた、緊急事態宣言明けの社内の人口密度にも、伴って多層的に響く人の声にも、慣れている自分をふと発見する。エアコンを消し、窓を閉めて寝ると真夜中に寝苦しくて起こされる。まだ2時半、暑さへの怒りはあと3時間も眠れることへの喜びにいとも簡単に騙されて、わたしはまたエアコンのスイッチを押す。

会社の玄関に植わる紫陽花は満開で、今朝も、おはようと、声をかける。



ふと、意識が戻るようにして、私はカバンからノートを取り出し頭に浮かぶ人の声や誰かの視界をプロットとして書きつけていく。黄味がかった方眼紙にまっすぐ横線を引いて、今のところはどこにも存在していない人たちの年齢と出来事のために、短い縦線で区切っていく。今のところはどこにも存在していない頭の中だけの家族。

体調を崩してしばらく休んでいた人が午後になって2週間ぶりに出社してきた。月末まで休職すると言う。私はきっと、月末では済まないだろうと密かに思う。月末では済まなかった私の虚ろな視線が今の私の視線に溶けあおうとしている。すでに過ぎ去ったはずの、毎日のように海へと歩いた、故郷の海に置いてきたはずの虚ろなわたし。虚ろなままでも書き続けたわたし、けれどあの小説はきっと誰の目にも触れないままわたし自身が忘れていく。忘れていくだろう、虚ろの海に置いてきた。


書いてはだめにしてきた。2万字の壁を越えられずに死んでいく物語をいくつも生み出しては殺してきた。忘れてきた。書く端からほつれた。ほつれゆく先を追いかけることもせずに、わたしはただ、忘れてきた。



休日は日が沈んでからでないと動けないわたしが日曜日は朝7時に起きて、白湯を飲み、朝食を摂り、掃除をして洗濯物を取り込んで、化粧をして出かける。何の間違い? イヤホンからは宇多田ヒカル。3年前に買ったヴィヴィアン・ウエストウッドのワンピースを着て、どうしたの? まるで体一つで死の陣地へ赴くみたい。

なぜメグは結婚してしまうのだろう、なぜベスの時間は止まってしまうのだろう、なぜエイミーまで、行ってしまうのだろう。恋愛こそが女の幸せなんて間違ってると必死に訴えるジョーでさえ、それでもわたしは孤独なんだとなぜその美しく青い瞳を濡らさなくてはならないのだろう。孤独は、その孤独は、どこにもやってしまえないことを、どうして認めなくてはならないのだろう。それでもジョーの孤独はわたしの孤独だと、わたしの黒い瞳もまたどうして。ふたり揃って、どうにもできないこの孤独を、ただ共有するだけで為す術もない、この悲しみの答えはどこにあったのだろう。ジョー、あなただけはどこにも行かないと思っていた、本の中にいたジョーは、わたしには悲しかった。あなただけはずっとここにいると思っていたのに。わたしはあの映画の終わりをまだ、信じ切ることができないでいる。ねえジョー、どこにも行かないよね。自立していたいけど孤独なんだって、ずっと、言ってくれるよね、泣いてくれるよね、


書かれることで重要なことになるとエイミーが言う。書いてはだめにしてきたわたしの書かれたことが、足元をはためいていく。



なぜ何もかもは背中を押すのだろう。孤独なんだと泣いたジョーでさえ、なぜ何もかもはわたしの背中に手を添えるのだろう。なぜ何もかもに、勇気の煌めきは見出されるのだろう。ルシア、ルイーザ、ジョー、シアーシャ、グレタ、

実体のないお金が一斉に飛んでいくことはただ怖かった。けれどお金とともにすぐにリターンがやってくる世界! かつてはそうだった、そうだった世界! 今に接続されている世界! 



生きている!



足元に死んだ物語を踏みつけてバサバサとはためかせて、風ばかりが強く吹きさらす雨の季節を、死んだ物語はずぶ濡れになり破れ溶けて飛んでいきながら、わたしは両手で傘を持って、生きている。生きている。生きている。カバンに居るノートの中で息を始めようとしているプロット。吸い込んで、吸い込んで、息を。息をして、息をして、息をして。死なないで。わたしだけのために息をして。




瞬きをする。人の減った執務室が見える。わたしのフレックスは20時までしか申請していない。目の前のメールに返信する。「お疲れ様です」と「お世話になっています」を使い分けるその境目をまだ見極められない。今、画面にいるのは「お世話になっている」人。右のこめかみに居た痛みは左眼の奥に移動し、わたしは何度も瞬きをする。落とした目薬は一瞬で乾く。わたしは何度も瞬きをする。安物のマスカラが目の端で引っかかる。斜め向かいの人がカバンを持って立ち上がる。「お先に失礼します」今から帰ろうとしているのは、「お疲れ様」の人。20時を過ぎて、けれどそれを20時とは認識できない、わたしはずっと、傘をさしていたから。



読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。