ライト 倦むこと 誰にも言わないこと
日記を書きながら、考えごとを文字に起こしながら、小説のプロットを組み立てながら、私は常に倦んでいる。どこにも何も残すことなく、インターネットに自分の痕跡を残すことに躍起になることもなく、人の目を求めて右往左往することもなく、適切な量の自意識と自尊心を持ち、毎日を過ごす人にいつも憧れている。私は常に倦んでいる。文章を書き起こす自分に常に倦んでいる。
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倦みながら、半年の間に多くの文章を生み出した。20代が終わることへの焦燥があった。今、年齢を越境してみて特にどうということもないが、それは越境してみないと分からないことであって、5月の私は、浮かぶものすべてを外に出そうと必死だった。5月の私に限らず、2020年を迎えた私は過去に比べても、随分と小説や文章のことを考えていた。
かつてボーイズラブで20万字を書き上げた私は、ボーイズラブをあらかた楽しんで心残りなく手放したのかもしれない。最近は逆にレズビアン小説ばかりが頭に浮かぶし、手が動く。私自身のセクシュアリティもまた小説を書くことで流動の中を漂っているのかもしれない。それは、特に誰にも言わずとも済むことだ。私のセクシュアリティは、私にも分からない。一生分からないままで、一生どこかを漂っているままで、いいと思う。
偽善でも何でも、書かなければ生きられない、そして伝わると信じていなければ書けない、私は生きるために伝わると信じて書くしかない。どうやったって、この人生の中で信じることと書くことから逃げることはできない。
金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』
「書かなければ生きられない」私はそこまでを言い切れないし、また、言い切りたくないとも思う。けれど「逃げることはできない」という気持ちは、なんとなく、分かる。頭に浮かぶものというのは物質であって、それは、頭に留めておくには重いのだ。きちんと質量があり重量があり、朝から晩まで気になって仕方がない、片耳にだけぶら下がった重いピアスのようなものなのだ。
書くということは。
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全く自分のためでしかない小説やどこにも行かない日記ばかりを生み出していた私が20代の最後の突き上げに背中をガンガンに殴られて、蹴飛ばされて、人に読まれるためのエッセイを5月の間に2本書いて、メディア「かがみよかがみ」に採用してもらった。
読まれるための文章でありながら、自分のための文章であることには変わりがなかったと思う。特に他者に開示する必要がなかったことを、焦燥だけが、外に出させたのだと思う。思えば誰の人生も、誰に開示する必要もないことで、それでも書かずにはいられない衝動があって、誰かの目に留まる瞬間を夢見てしまうのだろう。それは、「逃げられない」ことだ。
それでも投稿という行為、編集部の方とのやりとり、得られたフィードバックは、ただ誰のことも顧みず書いてきた私にとって、ありがたい贈り物だった。このメディアへの応募は29歳までの女性であることが条件なので、私はもうここに投稿することはできない。それでも、最後に良い思いをさせてもらった。感謝しています。
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年末から年始に書けて読んだルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』が今年の私を突き動かしているような気がしている。頁の一枚一枚から溢れ出してくる彼女の声。彼女の人生と私の人生は何一つ繋がらないのに、私はあの本を読んで、本の中にしかいないルシアに、好きなものを書いていいのだと語りかけられたような気がしたのだ。小説であれ日記であれ何にもならないテキストであれ、自分が思うことを、好きなものを、自分の気がすむように書いていいのだと。
ルシアには声があった。私は読み終えて半年以上が経っても未だ彼女の声を胸に聞いている。
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先日、このnoteの中でも特に多く読んでもらえた記事と、自分でも真面目に書いた実感のある記事を選んで、マガジンを一つ作った。私はあまり画面の向こうにいる読む人のことを意識しないので、自分の書いたどんな文章がより人の目に留まるのかも未だわかっていないし、多くの人の目に留まることは単純に運の問題でもある。そうして無作為に、不意に、突出してしまった文章は、私の持つ平等性によって、遠慮なく埋もれていってしまう。このマガジンが果たして役に立つかは分からないし、結局は私が探しやすいようにという自分のためでしかないのかもしれないけれど。
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かつて自分のためだけに書いた小説もまた、未だ誰かの目に留まることがあるのならと、kindleでの公開をやめられずにいる。今ではもう遠くに離れてしまった、青色の記憶。この目に映っていた愛より深い海のことを。
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振り返り、本当に、よく書いてきたものだと思う。よく今まで、倦むことはあっても辞めることはなく、ここまで歩いてきたものだと思う。私の声など何ほどのものでもないけれど、それでも私の声が聞こえた人たちが、いたのだろう。私が私を倦みながらも書き続ける限り、私の声を聞く人が、どこかにいるのだろう。
書くことを誇りには思っていない。結局は自己満足の、どこにも行かないものでしかないから。けれど仕方なく書いているとも思っていない。書くことは、誰に言わなくてもいいと思う。誰にも言わずに済むのなら、インターネットの中に置いておけるなら、私は自分の口から自分の行為を話すことはないだろう。誰にも言わずに済むことを、ここ最近は、ずっと、探し続けている。
I won't tell my friends
'Cause I know they're gonna worry
I won't blame anyone else
For what happens to me
宇多田ヒカル 『誰にも言わない』
読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。