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music/theater

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音楽・演劇いろいろの感想や考察など
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#舞台感想

それでも愛に夢を見る −『マーキュリー・ファー』の祈り−

吉沢亮、北村匠海が出演する舞台『マーキュリー・ファー』兵庫公演を観に行ってきた。私には『マーキュリー・ファー』という作品について何の前情報も知識もなく、正直なところこの主演2人を生で観たいというだけの理由でチケット抽選に応募した。チケットは相当な争奪戦だったようで、私も東京含めた6公演応募したものの当選したのは兵庫の1公演だけだった。当選しただけものすごくラッキーだった。しかし、生の吉沢と北村だ! とウキウキで当日を迎え、ウキウキで座席についた私はその後展開される2時間に役者

2019『カリギュラ』について 2/2

(前編はこちら) 3 カリギュラは何に反抗したのか   全部にでは? と言われるとその通りかもしれないのだが、私はここで彼の反抗対象に優先順位を見つけてみたいと思う。  戯曲を読むだけでは、カリギュラは様々なワードに反応して激怒する。例えばセゾニア が口走ってしまった愛、シピオンにふっかけられた孤独、老貴族たちから四方八方に飛んでくる財政の話その他もろもろ、彼が過剰に反応する単語は多くある。  観劇に赴く前、私は戯曲を読み、予めある程度ヤマを張っていた。彼はどこに最も

2019『カリギュラ』について 1/2

20191207 CALIGULA2019年12月7日、神戸こくさいホールにて舞台『カリギュラ』を観に行った。 私はライトに菅田将暉が好きである。興味がある映画に彼が出ていると結構嬉しい。テンションが上がるとまくし立てるように喋り暴れる演技が大好きだ。音楽も聴く、彼のまっすぐ突き抜けていくのにそれでいて柔らかみもある声はとても心地がいい。笑っているときの彼の顔が大好きだ。そして横顔といったら彫刻か? と思うくらいに美しい。 しかしなにぶんライトなファンなので、今年の全国ツ

どこまでをわたしのものだと言ってもいいの(20191208_したため#7『擬娩』)

人間には生物学的にオスとメスの二種類があって、メスにはできてオスには何をどうしてもできない唯一の行為が「妊娠」と「出産」だ。けれど世界のいたるところ同時多発的に消えたり起こったりを繰り返して歴史を繋いできた人間のそのまた一部に、「擬娩」という行為を行うコミュニティ、部族、集団、がある。妻の出産に合わせ、夫が「出産」を擬態する。実際に床に伏せって仮想の陣痛に呻いてみたりして、妻の出産の苦しみを分かち合う、いや引き受けようとする。 そういう習俗が、世界をひっくり返してばらばら落ち

20191207CALIGULA 今日の覚え書き

彼は誰より少年であり、誰よりも幼くて、誰よりも悲しんだ人であり、3時間に生涯の全てがあった。 3時間のうちに人間が心身に立ち起こす感情の全てが彼の体を貫いて、彼は時には黙り込み、姿を消し、天啓を受けて戻ってきて、3秒前には上機嫌だった顔がその5秒後には寒気を感じさせるほどの冷たい声で他者を圧倒的に否定する。奪い、罵り、足蹴にし、そうかと思えばくるくると表情を変えて自らを道化に貶める、平気で彼はこれをやる。感情に脈絡はない、必要がない、人間の死に意味がないのと同じように人間の感

解体された世界の果てに――20180722『半神』

7月22日、野田秀樹作・中屋敷法仁演出による『半神』を観に行ってきた。 土曜日の昼下がり、近所のTSUTAYAにて偶然手に取った雑誌。ティモシー・シャラメが表紙を飾り、吉沢亮と松坂桃李の名前が並んでいる。おそらく同じ理由で、いろんな手に取られ続けたその雑誌は表紙の端がすこしめくれあがっていた。 シャラメの映画祭コーディネートをべた褒めするページに一緒になってべた褒めし、吉沢亮の見開きにうっとりし、松坂桃李と唐沢寿明の対談を斜め読みし、たどりついたのは映画とライブ、演劇の情報ペ