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【いちばんすきな花】みんなじゃない誰かの存在。


よく言いますよね。
『みんなが言ってる』
『みんながやってる』
『みんなが…みんなが…』

集団の力って不思議なもんで
自分がそう思ってなくても
思い込むようにして
誰かの意思について行ったり
そっちの方が安全だからって
計算して自分を護ったりする。

でもその"みんな"って
本当に10分の10なんだろうか。
100%同じ考えで気持ちで
いるんだろうか。
違和感に思ったり
間違ってると思ったり
面白半分?自己防衛?
よくわからないまま
そこにいる人の方が多いのではないか。

そんなよくわからない集団に
静かに小さくでも確実に傷をつけられていく。
そのかすり傷はやがて、大きな傷となる。
消えることのない痣となる。
ふとした時にズキズキと痛む。
蘇る。鮮明に。
浮き上がる。
そして、そのかすり傷は
いつのまにか抉れてもう元には戻らない。

見えない傷をつける方が怖い。
誰にも気付かれない。
救われないのだ。

しかし、見える傷も当然痛む。
これが何の傷かなど
他人はお構いなしに
好奇の目を向ける。
日常にはないものだから。
噂は噂を呼び、
それが本当かのように広まる。
本当のことなど本人にしかわからないのに。
目に見える傷を負っただけではなく、
心の中に見えないかすり傷のような小さな傷が
どんどん増えていく。
そうして、心も体も疲弊していく。
人生を、諦めたくなる。
世の中がくだらなく見える。

だから、せめて未来では
もう怪我をしませんように。
帰りたいと思う家に暮らせますように。

と、願う人がいる。
"みんな"じゃない"誰か"がいる。
この世界にたった"ひとり"でもいるなら
救われることがあるだろう。

ひとりぼっちを生きていると
ポジティブワードが憎らしいことがある。
そんなもので消えるほど柔な傷ではない。
だからこそ、"みんな"じゃない"誰か"の存在が
輝いてくれるのだ。

それはたったひとりでいい。
だって、そうすればあなたは
たったひとりではなくなるのだから。


そんなことを語りかけていたような
45分間だった、昨夜のすき花。
美鳥ちゃんは魅力的な人です。
椿の母が教えてくれたロールキャベツ、
椿が教えてくれた将棋、
忘れることなく大切にして
美鳥ちゃんの支えとなっていたから
束縛気味の母親を心配した夜々に
プレゼント、できたんだね。
誰かに救われたこと、してもらったことは
そうやって繋がってゆく。
その優しさや温もりがまた、
誰かの支えとなる。

人は、ひとりじゃないということ。
ポジティブワードでもなんでもなくって。
本当に優しい世界はあるんだよってことを
教えてくれた気がした。


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