見出し画像

【マイ・ブロークン・マリコ】感想


アマゾンプライムで配信されている
『マイ・ブロークン・マリコ』を観た。

ーー勝手に逝ったあんたのために
たった一人の親友・マリコの遺骨を奪い、
最初で最後の旅に出た。

シイノ(永野芽郁)が感情のまま生きて
嫌なもんは嫌、無理なもんは無理。
それをぶつけて何が悪いという性格。

一方でマリコ(奈緒)は幼少期から続く
実父の虐待で徐々に心が壊れていく。
自己肯定感はまるでなくシイノだけが頼り。

だが、それはシイノにも言えることだった。

マリコにとってシイノだけだったように、
シイノにとってもマリコだけだったのだ。

「シィちゃん、シィちゃん」と子犬のように
くっついてくるマリコがいたからシイノは
シイノでいられたのだ。

共依存といえばそうかもしれない。
でも本当にそうだろうか。
何があっても味方でいること、
この人がいれば生きてみようと思える、
そんな"ダチ"に出会えたことは
二人にとって幸せだったはずだ。

シイノが骨になったマリコと行った海。
マキオ(窪田正孝)との出逢い。

死んだ人に会うには、生きていくしかない

大切な"ダチ"の骨までも失い絶望的な
シイノにかけたマキオの言葉。
死んでしまったら会えないけれど、
思い出がある限りまた会える。
自分の人生を生きてさえいれば、
シイノはまたマリコに会える。
凄くいい言葉だった。

マリコが生きていたという真実は
生きている人にしか遺らないだろう。
自分を大切にするためブラック会社に
退職届を出すも辞めさせてもらえない。
これがシイノが生きる世界の現実だ。
ダチが死んでも日常は続く。
それでも生きていくしかない。
マリコとまた、会うために。

救いようのない物語に思える。
でもなぜか人のあたたかさも感じられる。
残酷にも傷つけるのも癒すのも人だ。
大切な人を救えなかったとしても、
束の間だったとしてとも癒せる側になりたい。
そんなことを思う作品だった。

永野芽郁が荒々しくも愛情に満ちた
シイノというキャラクターをどんな風に
演じるのかとても気になっていたが、
足を広げて煙草を吸う姿や、
ナイフを突きつけながら喚き散ら声、
昼間からビームを飲むやさぐれ感が
なんとも自然で痛々しくて、 
不器用なシイノがそこにいた。

奈緒の弱々しくもがき壊れてしまった
マリコというキャラクター。
これはもう、奈緒にしかできない気がする。
あの目の奥に光がない人形のような微笑み、
フワッと消えていきそうな危うさが
ずーっとあって、ずーっと儚いのだ。

マリコからシィちゃんへ遺した最後の手紙には
なにが書かれていただろう。
シイノにだけ気ままになれたマリコだから
きっと"ねこ 飼いたい"って言ってそうだな、
なんて考えながらエンドロールを見つめ、
もっとシイノとマリコを知りたくて、
原作を読みたくなった。


"ダチ"がいる人、いない人関係なく観てほしい。
その日その場で出逢った人だとしても、
【このご恩は一生忘れません】と言われるような
人生を歩んでみたくなるはずだ。