比較、判断をやめた先にあったのが『悟り』だった
比較、判断、批難をやめていく…
その先にあったのが悟りだった
でも、悟ろうとして悟れるものではない
その時は誰にでも自然にやってくる
悟りとは
すべてが自分で
すべてでひとつなのだという
境地にいること
宇宙のすべてと繋がっていて
平安なこと…
森羅万象のそのままを受け容れられること
どんな自分も人も物も
どんな出来事も
善いも悪いもなく
そのままで
ありのままで在っていいと思えること
どちらも全部いいと思えるようになること
ネガティブであることも
嫌いなものがあることも
不満があることさえも
したかった体験であるだけなのだから
そのままでいいのだと思えること
究極的な観点から見ると
ダメなものは何もないということになる
この世界は
パズルのように不完全な凸凹のピースが
すべてある(揃っている)からこそ
ひとつの完成品になっているのだと
解っていること
今、私にないものは
誰かが持っている
私がすでに過去や前世で
持っていたのかもしれないし
これから持つものなのかもしれない
今、私がしたことのない経験は
誰かがしてくれている
過去や前世で私がすでに
体験したことかもしれないし
これから体験することかもしれない
他の誰かにないものが
今の私にはある
他の誰かがしていない経験を
今、私が体験している
時空間を超え
そのすべてが自分の体験
他人だと思っていたその人達とも
源に還ればひとつだ
私たちは
この世界丸ごとすべてで
完全であり、ひとつなんだ
それが解ると
宇宙に包まれている感覚になって
「私」という個人意識が消えてしまうから
どんなことも、何があっても
安心して受け容れ、そして手放して
委ねられる
というか、
もう委ねざるを得なくなってしまう
「個(私)」という自我意識を離れたら
苦しみからも解放されて
求めていた安らぎの境地に達してしまった
私ががんばらなければいけないことは
何もないから
完全に自由な気分
安らぎや喜び、平穏、愛である時が
神に還っている瞬間だといわれているけれど
今ここに
それがある
その瞬間がずっと続くわけでは
ないかもしれないけれど
気づけばいつだって
ここに戻れる
忘れたらまた何度でも思い出せばいい
自分と他人を分けて
善悪を作って
「比較や判断をして苦しむ」という
初期設定で生まれてきたんだから
それをやめるということは
そう簡単なことではないのも設定のうち
だから自分でムリに
比較や判断をやめようとする必要もなくて
「また比較、判断をしているな」と
ただ気づいていればいい
今までは深刻に悩んでいたことさえ
本当は「どっちもいい」のだと分かっただけで
気持ちが楽になれたんだから
それでいい
どうせシナリオ通りに進んでいるんだから
自分でがんばろうとしなくても
気を楽にして身を任せていれば
徐々に比較や判断をしなくなっていくのだと
分かっているから
人生って
自分自身を苦しめてきた設定に気づいて
それがひとつひとつ解除されていく過程を
楽しむゲームなんだって分かった
そうやって段々神に近づいて
神に還っていく過程を楽しんでいるんだね
自分が自由になることを許すと
周りも自由になって
世界も自由になって
すべてがそのままで、ありのままの状態で
楽に自由に生きられる世界になっていく
自分のすべてを無条件に受け容れて
自由にしてあげること
自由な魂に戻ること
それが生まれた目的だったんだって
分かったよ