泪の夜に手を引いて、誰でも善いからあたしの死にたいを壊して

 俺は絵を描くこと以外何ひとつ出来ない 

 去年の夏頃 毎日朝から晩まで 日付けが変わる迄絵を描いていた 

 腱鞘炎でシャーペンを握れなくなった

一度腱鞘が傷を負うと、傷んだ部分を筋肉が庇ってかたくなるらしい もう二度と絵を描けなくなるんだと 

涙が止まらなかった

ふと思い出したんだ クーラーの下でひとり 真っ白なスケッチブック シャーペン MONOの消しゴム 

よく「色は塗らないの?」 「色がある絵が見て見たい」と云われる 

モノクロだからと 

俺にとっては、灰色も黒も白も色なんだ

 俺は黒が好き 何色にも染まらず、どんな色も染められるから 

  黒を変えられるのは白だけ

 フッ素は何とでも一緒になれるけど、キセノンはフッ素以外とは一緒になれない 

 あたしはキセノンみたい

 中学1年生の時、母親に連れられて、精神科に行った 

誤診で3ヶ月閉鎖病棟に入院させられた 多分1週間か2週間くらい隔離室に居た 

真っ白なベッドと、掛け時計だけの真っ白な壁の何も無い部屋

 人生に、世界に絶望した。

ベッドから降りて、どこかつめたい地べたに膝を抱えて座り込んで嗚咽しては、床の模様と溝を数えたり、時計の時間が過ぎるのをじっと見たり、鍵で施錠された窓の奥の廊下の壁を見てた 

 やっと隔離室から出れて、閉鎖病棟にうつった。

 其処で出逢ったお姉さんが、腕を捲ってケロイドを見せてくれた

俺はその時はまだ、赤い線がいっぱいあるくらいで、浅くて薄い傷だった

 〜ちゃんはまだ大丈夫だよ、ワタシは動脈までカミソリで切って血が1mくらいピューって噴き出したり、脂肪とか筋肉が見えるまで切ったり、3センチくらいぱっくり開いてさ もう何十回も縫ったから、ボコボコだよ

 腕の原型を留めて居なかった 手の甲から手首まで根性焼きの痕が幾つも重なっていた

 ある日 そのお姉さんが解離して、別人格の男の人になった そのあと別な女の子になって、心配になって追いかけたらトイレの洗面台で泣きながらシャーペンのペン先で手首を引っ掻いて切り裂いて、何回も何回も繰り返し抉って血だらけになって、洗面台にポタポタと血溜まりができてた 顔が涙でいっぱいになりながら ケタケタ笑いながら  ひたすら手首の傷口を抉っては引っ掻いてた

 「あたしは救われない」「あたしは救いようがない」 「あたしは救えない」

俺のとなりで お姉さんが云う 平然と

俺はそのとき12歳だったけど、其の言葉を17歳になった今でもずっと鮮明に憶えていて、忘れた事は一度も無い

 あの時のお姉さんは、俺の事を憶えて居るだろうか 

今も生きているのだろうか

お姉さん 俺、

お姉さんの腕よりもボロボロになっちゃった

お姉さんの翳った瞳が、今になってわかったよ

ありがとう 

さようなら

いつかまた、お姉さんの煙草の銘柄とか お姉さんの好きな花とか お姉さんの好きなお酒とか 

お姉さんの話を聞かせて 


 俺はずっと、絵を描き続ける 絵にする 



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