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誰かの役に立つのに肩書も経験も関係ない Vol.97

何話か立て続けに港区のゲスイ例えで人の価値について書いてきた。

どんな人だとしても何かしら価値を与えることは
必ずできると思っている俺ではあるが

とはいえ、それでも価値を出し惜しみしたり、
出し方を間違えたりする人をよく見かけるから
今週はまた価値の話を昔話も交えて、少し共有したいと思う。

新卒1年目の過ち


俺は新卒1年目から営業マネージャーみたいな立ち位置に任命されてた。
新卒なのに!?って思われるかもしれないけど、
まぁ~このnoteを読んできてくれた人たちなら分かるかもしれないけど、俺が新卒で入社した会社は、なかなかの時代を生きてきた黒光りベンチャーだったからね。

それでも俺は脳みそが単純だったから「マネージャー」って単語に、随分と囚われてて必要以上に背伸びしていたことを思い返す。

肩書がマネージャーである以上、俺は上司だし周りの年上エンジニアたちから「なめられたくない」「馬鹿にされたくない」とばかりに気負ってしまってた。

できないくせにできないと認められないから、
業務を進めるために「助けて」ってずっと言えなかった。 

だから、やり方が分からない仕事を
抱え込みながら時間ばかりが過ぎていく。

この大迷惑行為は当然、業務進行を後手後手に回らせてしまって俺ばかりじゃなくて、チーム全体がお客さんから大目玉を食らうという結果的に周りに大迷惑ばかりかけてた。

たった一言「助けて」とすぐに言えれば
まだ一時の恥でよかったんだけど

うだうだとやってる俺は恥の上塗りも上塗りしまくってしまったもんだから、もはやIKKOの化粧よりも厚くなって、俺の恥を通り越して会社全体の大恥になった。

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あとから優しい先輩に言われたのが

「周りの年上エンジニアからしたら、そもそも新卒一年目のお前になんか期待していなくて、ちゃんと営業マネージャーとしてお客さんとエンジニアの間に入って、お仕事の情報共有さえしてくれればよかっただけだよ。」

と言われた。

 
これが聞けて気負ってた俺が馬鹿みたいに思えた。


この話は俺が期待されていないのに勝手に自分が履けもしない下駄を履こうとして、みんなに迷惑をかけたわけだけど

これは価値の出し方を完全に間違えたパターンだ。

今考えると「分からない」って言えるのは、その場で分からないことを分からないままにしない勇気ある人にしかできないことだと思う。

「助けて」も同じでチーム全体の業務遂行のために、出来ないことを認めれる勇気のある人なんだから恥とかではないと思う。

※あ!何度も同じことを聞く学ばない奴とかはハズいけどね 

たとえ助けてって言って「お前、そんなことも分からないの?」って言ってくる先輩がいたとしたら、そいつはきっと大した先輩じゃないと思う。

限られたリソース環境の中で目的を達成するためにチームがあるのに、チーム内でマウントを取る時間があるのなら、チーム最適化のために考え動いてほしいもんだと思う。それが周りに価値を与えることの一つだからね。


俺は何よりも「人を育てるということが一番の大人の仕事」だと思ってるから、むしろ分からない人が居ることが分かることも、それを育てられるわけだから、大人になるための機会そのモノを得たんじゃないのかとすら思う。


チームの最適化

それでね当時、俺は営業マネージャーって言う役割だったから、お客さんとエンジニアの間に入ってやり取りするのが仕事のメインだった。

それから自分で会社を作ってから
数年経った頃にふつふつと思ったことがある。

それはよく考えたら現場に行くエンジニアのほうが余程お客さんの声が聞こえる場所にいるんだから、直接やり取りするほうがよくねー?って思うわけだよ。

日々プロジェクトを進めるうえでどこに壁があるのかとか、進捗的に遅れているとか、お客さんの困りごとはいつも目の前で起こってるわけじゃない?

逆に言うと、
いつだってその問題たちを解決提案する立ち位置にいるわけじゃない?

誰かのために役に立つのが仕事なんだから
その困りごとを社内に持ち帰って共有してみんなで
提案して解決したらいいじゃんか!って思ったわけよ。

それができる人ってきっと価値が高いじゃんか!


当時、そう考えた俺は社員たちにこの話をしたら 
「提案などはエンジニアの仕事じゃない!営業の仕事でしょ!」
って言われた。

んじゃ、提案はこっちでするからせめてお客さんの困りごとを共有してよ~って言ったら「ヒアリングするのも営業の仕事でしょ!」って返事が帰ってきた。

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はぁ!?
このやろー!!
踏んずけちゃうぞ!!!

当時の社員の大半はこの考え方だった。

いわゆる自分の肩書仕事以外は我関せずだったわけだ。
チームの最適化なんて関係ないし、ましてや
自分の仕事を増やすんじゃねーって感じだった。


今ならそんなことを言う社員は確実に俺が粛清するけど、20歳中盤ぐらいのまだ甘ちゃんな俺は、この回答たちが社員の総意のように思えて、それを聞いて悶々とするだけで何もできなかった。

それから数年経って、「提案?自分に関係ないから」
と言っていた社員たちは徐々に辞めて行った。

辞めて行くように仕向けたわけではないけど
やっぱり、わが社員たちには
社会的に価値の高い人材になってもらいたいと思うわけだよ。

こんな思いから社内に向けてメッセージを出し続けた結果、価値観の合わない人たちが会社を出て行くようになっただけの話だ。


これらのメッセージを出し続けたのは社長として
社員たちと互いの価値期待をすり合わせる作業の一つだと思ったからだ。


向上心の高い組織環境、社員が成長しやすい考え方や習慣の定着など
そういったカルチャーを作るのは、
俺がTOPとして社員たちに出せる重要な価値の一つでもあるからね。

結局、それは営業の仕事でしょ?って肩書とかで自分の業務範囲を規定するというのは、一見正しそうなんだけど、自分が経験しうる新しい機会を自分が蓋してるだけなんじゃないのかとすら思う。


こうやっていうと、専門的な職種と総合職といったユーティリティプレイヤーは違うとかスペシャリストが生まれにくくなるじゃないか!って反論されるんだけど

俺が言いたいのはそんなことじゃねー!

「目の前で困ってる人が居たら助けるだろ」

助けるスキルがあるとかないとかの問題じゃない。
これは人としてのスタンスの話だ。



与えられる価値

問題を解決するチームのパフォーマンスを上げるのに、内部の人とか外部の人とかはもちろん関係ないし、スキルがあるとないかも関係ない。

誰かのために何かをやろうと考えられるぐらいの「思いだけ」でもせめて持ってほしいと思う。

ましてや俺らはお客さんからお金を貰ってんだからね。