2017年にミャンマーで鉄道跡を見た話④
つづきです
本文の前に、このクラウドファンディングがそろそろ終わりなので、ご支援よろしくお願いします。
2017/5/2 連合軍共同墓地
バスのおっさんに「ここタンビュヤザ」と(たぶん)言われて降りて少し歩くと、広い敷地と立派な門。第二次世界大戦で、連合国側で亡くなった人を弔う共同墓地とのこと。
中に入るとミャンマーでこれまで見てきた中で、最も整然とした風景が広がっていた。なんとなく西洋感のある整え方なので、おそらく欧州のどこかの国が主体となって作ったのだろうと思った。
戦争そのものによる戦没者に加えて、日本が行った泰緬鉄道建設による死者なども祀られているとのこと。
ひとつひとつの命があって、戦争はそこで死ぬはずなかった人を殺してしまった。日本がどれだけの人を殺したのか所説あるけど、人数は重要ではなく、だれか一人でも殺してしまったということは、日本人として人間として反省し続けなければいけないなあと思った。(ビートたけしが東日本大震災について下記のように言及していたのを思い出しながら見てた気がする)
この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。https://news.livedoor.com/article/detail/8618365/より抜粋
2017/5/2 スクーターのおっさん
罪悪感でしょんぼりしながら墓地を出て、博物館の方向にトボトボ歩いていると、声を掛けてくるスクーターに乗ったおっさん。「どこへ行くんだ」と聞くので、レイルウェイを見に行くと話すと、「乗って行け」と、フレンドシップだと。
おっさんの先祖をたくさん死なせたであろう日本人に対してなぜこうも優しくしてくれるのだろう。そういえばこれまでの旅程の人々もみんないい人だったなあと思い、泣きそうになりながらおっさんのバイクで運んでもらった(というか泣いた)。
祖父の葬儀で、祖父の友人が言っていたが、インパール作戦で亡くなった日本人を埋葬してくれたのは、ビルマ人であったとのこと。
颯爽と去るおっさんの背中
2017/5/2 泰緬鉄道博物館
ついにたどり着いた鉄道博物館。ここも共同墓地と同じく芝生が養生されており、整った印象。
建物に入ると、当時の捕虜の生活や作業の風景が、写真や絵により展示されていた。
日本人が寄贈したと思われる展示も多かった。
屋外には、当時のものかは不明だが、泰緬鉄道の起点、つまり「Death Railway」の起点を示すモニュメントが。
「枕木ひとつで命ひとつ」この長い線路は枕木をいくつ設置したのだろう
月並みなのですが、2度と繰り返してはいけないと思います。
2017/5/2 タンビュヤザ散策
帰りのバスまで時間があるので、灼熱のタンビュヤザの中を散策した。うちのじいちゃんはこの熱帯で生きていたのね。
展示物ではなく、使われている方の駅。電車は夕方まで来ず、昼寝している人が大勢いた。旅行中どこでもそうだったのだけど、ミャンマーの人は日中は日陰でゴロゴロしている人が多い。
舗装が最小限の道。
日本人が建てた仏塔と慰霊碑
公園で涼んでいたら絡んできた少年たち。やたら甘い揚げ菓子をくれた。なんだこのポーズ。
あと1回くらいつづく。
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