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“悲観は気分、楽観は意志”

夜、4時間ばかり帰郷。
2年前の春に父は他界したので、今は母が独りで暮らしている。
なんとなくな自分の近況を伝えつつ、この先の自分の身の振り方の可能性の話をチラホラ。
この話…数ヶ月おきに帰郷するたび(若干のupdateを加えて)話しており、母には“可能性”に少しずつ慣れてもらっているつもり。

昨夏前に初めて話した時に見せた、兎にも角にも反対というスタンスは崩せているのではないかと思うし、ボクももうこの年齢なのだから母の気持ちなどまで気にする必要もないだろうとは思うのだけれど…それでもまぁ自分に関係する人々には基本、快く受け入れてもらえるに越したことはない。
(…とはいえ、実際のところ、どうなるかは分かりません)
もちろん、話し相手に枯渇しがちな母の話し相手をするということも忘れず。。

父が亡くなって約2年。
特に晩年の20年間くらいは、決してボク自身、関係性は良くもなく…たまに会う時も、ほぼ必ず父は酩酊していたので、まともなことを話した記憶はほとんどない。

ここ数年は涙脆くなっているはずなのに、葬儀の時にも全く涙は出なかった。

父を悼む気持ちはあるし、今も仏壇に線香もあげれば煙草も供える。
ただ、最期まで会話によって氷解することのできなかった“わだかまり”を、もう無くすことはできないのだろうな、と哀しくもなる。

自分だって、友人だって、恋する人だって、肉親だって、いつ死ぬかなんて分からない。
それだけに、やっぱり生きているうちにやれることは全て(結果はどうであれ)やるべきだし伝えるべきだよな、と心の底からそう思う。

打つ手がなくても、打つ足はきっとあるし、足がダメなら頭だって腰だって歯だって、何だってある。
アランの言う“悲観は気分、楽観は意志”なんだ。

全然関係ないけど…ゆうべNHKでOAしていた『LAST LOOK ラストルック〜世界を変えた一着〜 Holes』
川久保玲さん、やっぱカッコ良い。

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