お礼と蛇足



今回はいつも以上に、たくさんの人に練習に付き合っていただいて、観ていただいて、あたたかいお声掛けいただけたこと、お礼申し上げます。
ありがとうございました。おかげさまで非常にエキサイティングでした。奮わない結果と、ダーティすぎる内容については、力不足です、一度お隠れになって出直します。


ほんとはこれだけで良いのだけれど、ここからは蛇足。元来、僕は余白が残っている文章の方が好きなのだけれど、よく喋る僕は結果的に蛇足だらけでもう百足みたいなことになってしまう。


"リベンジって最高"って話をしたかった。
チェンソーマンの姫野先輩は遺言のように遺したけれど、僕は生きたまま眼前に鬼の首を掲げて、easy revengeをまざまざ見せつけようと企んでいた。今も企んではいるけれど。そして浸るように懇々と話してみたかった。果たす前にするのは美しくない。そして、リベンジが最高に気持ちいいというのは、未経験の感情の予見だから、当事者として話せない。こればっかりは口惜しいけれど、いつやってくるかわからない次のリベンジのために、いつかやってくれる自分のために、取っておくとしよう。本気の割愛というやつだ。


甘くないね、いい波を先取りして持ってきちゃおうかと、気合いで結果出してやる、と息巻いていたんだけどな。復活の狼煙はまだ上がらないみたいだった。
身の丈に合わぬ結果の前借りのしすぎで、"結果界隈"(なんてものがあるならその界隈)の信用情報が去んでしまったのかもしれない。こればっかりは仕方ない、その場限りの氣だけじゃあ埋まらない差分は、力で埋めるしかないからね。
楽しませてくれるじゃねえか。これだから格闘は辞められない。


このところ、虚勢と実情の差分に悩まされていたので、随分弱っちいところを人々に晒してしまった。まるでクールじゃない。せめて強いところをご覧に入れて、ついでにあの活きている躍動みたいな時間をシェアできたら嬉しかったのだけれど。人間がたった1分半のバトルために準備をして、勝った負けたが下される、尋常とは言い難い、凝縮された必死みたいな時間は、まだあそこ以外では感じたことがないから。
(尋常とは言い難いけど、勝負は尋常に行われるんだけどね。これも蛇足だ。)

勝負の世界で勝敗を脇において話をするのは筋が違うし、あまり好きではないけれど、少しだけ。
あのエネルギッシュでギラギラした場、珍しく瞳孔が開いちゃってるとてもシラフとは思えない僕の姿はきっと、なんか活きている感じがすると思う。
この"活きている感じ"ってやつは、観ていても多少得られるんじゃないかと思う。すっごくぶっ飛ぶからちょっと試してみてよ、っていうお裾分け精神がありまして。

そして人に観てもらうからには、より一層のエナジーを放出せねば、と思えるから、僕のモチベーションにも繋がる。

ちゃんと強いんだぞ、と僕の輪郭を取り戻すのは次の祭りに取っておくとしよう。生きている上で、イージーじゃない方が面白くはあるからね。楽しませてくれるじゃねえか。


結果はn回目の準優勝。もはや何回目なのかも正確にわからないほど、習慣化してしまった。口惜しいなんて言葉じゃ収まらない。諦めの悪さが僕の美点なんだけどね。
それにしてもだ畜生、僕の中の蓮舫さんは何回「二位じゃダメなんですか」してくれば気が済むんだ。蓮舫さんというか「二位じゃダメなんですか」botなんじゃないか。殴りたいのはあんたかもしれない。いや、あんたではないかもしれない。


何回やってるんだよ、シルバーコレクター!と自分でも揶揄したくなるけれど、その度に反省だけはそれなりにやっている。

元来自分のことは大好きなので、勝っても負けても試合の後は、自分の試合を繰り返し観ている。どうせ強強打破とかいう劇薬を3本もいってしまってるし、あんな尋常じゃない時間を過ごすとアドレナリンがとめどないからね。試合後の晩は、すぐ休むのは諦めて、しつこく試合動画を観て過ごす。

観ながら「おー、うまいじゃん」とか「この攻撃は余計!」とか「ん、これ何が当たったんだ?」とかブツブツ言いながら、該当箇所をスローで見返したりして楽しんでいる。この時間は、かなり楽しい。


「ここでこれを出してれば」とか「この相手の動きにはこれだったな」とか「ここは気持ち見せろや」とか「課題はアグレッシブ」とか「この場面の攻撃の引き出しが絶望的に足りないぞ」とか、たらればの後悔や次回への課題が露呈する。


このたらればの後悔の部分は、物事の一回性を感じさせて、頭を抱える。一回性があるから、人々は必死になるし、ヒリヒリしてエキサイティングなのだけれど、頼むからアゲインしてくれ、と懇願したくなる。

此度のチャンスでこうしてれば越えられていたのに、勝ちきれたのに、悔いが止まらなくなる。殊に準備段階じゃなくてその場のパフォーマンスでどうにかなることだったら、悔恨がとんでもない。あー、悔しい。せめて問題の所在は準備であれよ。そうしたらもう少し長いスパンを省みられるのに。まさかの1分半の自分の中に勝敗を分かつ要素があるなんて、狂いそうで、それでいて楽しませてくれる。


だから、不名誉な準優勝を重ねるたびに、一回性を意識して日々生きないと一等賞にはなれないんだぞ、と思い知らされるのかもしれない。
終わった瞬間に早くも殴りたくなってしまう。嗚呼、殴りたい。


蛇足が過ぎて百足なので、このあたりにするけれど、タイトル通りの蛇足なので、今日ばっかりは目を瞑ってお願いします。



■エピローグの前段

わりと精神は安定している部類を気取っているんだけれど、毎年春先と秋になると少しだけブルーな気持ちになる。躁と鬱の波波を小波にしたい、そんな風に思って開発した秘策がある。

おやすみプンプン/アフロ田中交互読みだ。
プンプンが後半に差し掛かるにつれて、鬱要素が1プンプンに対して、1アフロでは見合わなくなってくるので、
愛子ちゃんとの再会以降は1プンプン2アフロくらいがオススメ。
ところで、エピローグの前段って何ですか?



■エピローグ

これと同様のメソッドを最近音楽でやっている。
まずこれ、Think fast

泣き虫ロックでお馴染みのウィーザーとダウナーの申し子みたいな詞を書くDominic Fikeがコラボしちゃっているんだ。

泣き虫ロックって可愛い響き。僕は泣き虫じゃないけれど、最近くよくよもするようになって、人間らしさが増している。深みが出ちゃってるぜ。(泣かないのは、強いからじゃなくってハンカチの洗い替えが3枚しかないからなんだけどね)


話は逸れたけれど、この曲は
You only get one try って詞が、後悔を許さない一回性のある時間や機会の流れを突きつけてきて、きちい。うっせぇ、抗ってやる。と思いつつ、流れたもんは戻ってこなくって、悔いることしかできない出来事なんかを思い出してしまう。畜生、気分が沈むぜ。ところで、泣き虫ロックって何ですか?


そして、これを聴いた後に僕のSpotifyのお気に入りプレイリストは、霜降り明星の粗品さんのサルバドルサーガを流してくる。

どうかしている。僕はどんな気持ちでこの二曲を続けてお気に入りに追加したんだ。

まあこれも底抜けに明るい曲ではないんだけれど、やるせない自分を激励しつつ、ごっそり世界に他責する図太さが、沈んだ心を浮かせてくれる。

この二曲のループで、およそ7分間で沈んだところから浮き上がる流れを再現できる。いうなれば7分間の擬似躁鬱音楽体験。時間対効果が高い。オススメ。


■エピローグの蛇足の部分
いつも試合の前は、戦だー!という感じの物騒系のミュージックでストレッチしたりシャドーしたりするのだけれど——入場曲を流せる試合では 神聖かまってちゃん の 僕の戦争 にしているくらいには蹂躙モードのミュージックを聴く——今回は、リベンジのチャンスの尊さを叩き込むために、この擬似躁鬱音楽体験をした。

なんならもひとつおまけに、泣き虫ロックでお馴染みウィーザーのundoneがその次に流れちゃって、1粗品2泣き虫ロックになっちゃったのだけど。ところで、エピローグの蛇足の部分って何ですか?

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