父が古希(70歳)を迎えました。

兄の奥さんや、生まれたばかりの赤ちゃん(そういえば俺叔父さんになりました🤲)も含めて、皆家族旅行に出かけました。

俺は体調不良だったので、一応大事をとって欠席。極度の免疫低下とのことだけど、はっきり原因を究明できなかったので。

赤ちゃんになんかあったら大変だしね。

この歳になると70歳まで仕事してるっていうことの凄さが改めて現実味を帯びてきて、尊敬に尊敬を塗り重ねて地が全く見えません。底知れない。

俺なんかしょっちゅうぶっ倒れて休んでいるのに、父は70になる今でも元気にとある眼科をひっそりと、だけどしっかりと、構えている。

十何代か目だったか、江戸時代から続く眼科で、継がない家族も漏れなく違う科の医者になる家系。

小さな頃は、母親や周囲の大人から

「勉強して医者になりなさい」

「大きくなったら医者になってわたしを診てね」

とプレッシャーをかけられ、悪戯をしようものなら

「パパの顔に泥を塗るような真似はやめなさい」

「宮本眼科の息子だろー」

と怒鳴られたもの。

天邪鬼ひねくれ小僧の武瑠少年は、それらの声を起爆剤に真逆の方向に舵をとるわけです(一応高1までは進学校に行ったんだけど辞めてしまった)

ただ、不思議と父からそういった類の言葉を聞いた記憶がない。

そもそも休日も専門学校の講師や校医をしていた父はほとんど家に居なかったし、稀にリビングのソファに腰掛けてるのを見つけると、手術のビデオも見て勉強したり、趣味のクロスワードをしていた。

ざっくりとしたまとめ方で言うと、一緒によく外に遊びに行ったり、食卓を囲むような近い関係にはなかったように思う。15歳から一緒に住んでは居ないことを考えると、記憶のある期間で言うと10年程度か。

父は自分の仕事を自慢したりひけらかしたりと、尊敬を押し付けるような態度をとることは一切しなかった。

疲れたとか、もう嫌だなど、ネガティヴな発言も聞いた記憶がない。

文学が好きで、祖父に内緒で文学部に入ろうとするが、強制浪人させられて医学部に1浪で入り直す事が出来るぐらい頭が良い。

何かを訪ねて分からないと言う返事が返ってきた事がないし、だからと言って決して頭でっかちではない。

最新の漫画や小説、サブカルもチェックしている。モテキや翔んで埼玉は父から知ったくらい。

'知らない事がない'と言うことは、今考えるとすごい事だったんだよな、と思う。

何より、ぶっ飛んでる母の行動をほぼほぼ容認できるほど、穏やかかつ大きな器を持っている。

それは、とてつもない人間力だ。

父の話を周囲にすると、

「そんな旦那さん理想だわ」

と口を揃えて言うくらい。(俺はそのぶっ飛んだ母とのハーフゆえ大分属性が違うと思うので期待に応えられませんすまん)

幼少期から反抗期。シンプルな不良という言葉とはまた違った歪み方をして、なかなか迷惑をかけたけれど、それが尊敬であると自覚する前に、うっすらとそれに似た感情が根付いていたように思う。

髪を染めることもピアスも開けることも禁止だった上、それだけは辞めてくれと言われていたタトゥーがバレた時はそこそこ叱られたけど、悪事を働いても感情に任せて怒られたことはない。

会話や過ごした時間よりも、父との繋がりを濃厚に思う場所がある。

それは、実家の書斎。

本棚にびっしりと並んだ本を何度も何度も読み返した。

背が伸びるにつれ手の届く範囲が増え、椅子に登ることを覚え、ついには最上段の知識まで到達した。

吉本ばなな、山田詠美、週間文春のエッセイ、ガロ、手塚治虫。

他にも思い出せなくらい、たくさんの'記録'や'表現'に触れた。

中にはえっちなものもあったな。これは内緒の話。

マセガキになったのもそのせいかも。

そして自然と、頭の中の妄想を形にするのに夢中になり。下手な漫画を描いたり、漫画よりはまだマシな小説を書いたりした。

皮肉なことに、医者である父の書斎で育ち。その影響下で、医学とは違う道を歩んで行ったのかもしれない。

他にも勿論たくさんあるんだろうけど、言葉の力を盲目的に信じている一つの理由だと思う。

父がそれまでの人生で歩んだ感性の詰まった書斎。

そこで過ごした時間は、間接的だとしても確かに血となり肉となり、今もしっかりと息づいてる。

それがたとえ直接的な交流じゃなくても、しっかりと。

冒頭に触れたように、今は一人で自宅にいて、このブログを書いている。

なんだか人生って不思議だ。

大人になって初めて家族旅行をする予定だったのに、体調を崩して不参加。

団らんを囲み、模範的な家族として幸せを祝えなかったが、こうやって父から受け継いだ感性と、自分で選んだ人生の掛け算で産まれた文章を綴っている。

この一言では表せない独特な感覚や想いも、間接的に届くのだろうか。

多くの人は'直接的'であれと言うだろう。

それが常識であり、正解なのかもしれない。

ただ、'らしい'なと、どこかで微笑んでしまう自分も居る。

きっと直接的に届けるとなると、違った形になってしまうから。

こんな風に綴るのが、一番正直な言葉なのかもしれない。

汚い世界で目の前が真っ暗になり、全てを信じたくなくなっても。

みんなやってるよ、こうしたほうが楽だよなんて悪魔のささやきが聞こえても。

それが誰に知られることもなくとも、純潔な心で芸術と向き合い、意地を張って居続けられたのは、きっと、父のおかげ。

誕生日、そして古希、おめでとうございます。

「親より早く死なないことが親孝行だからな」と、昔言われたっけ。

なるべく守れるように頑張ります。

(ちょっぴり不安)









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