難産に向けてのメモ
久しぶりブログ書いたら、物事伝えること自体から逃げてたなーと感じたので、少しメモするつもりで触れてみる
(ちょっと自分のメモ的な要素も強くきっと不快にさせる表現もあると思います)
理由は、限られた時間の中で文章を書くことの、優先順位が下がったから。
それは言い換えると、'伝える'ということから逃げて居たのかも
なぜだろう?理由を考えてみる
1.マネージメントが存在しないこと
これは正に自分で選んだことなんだけど、やはりこの要因は大きい。
もちろんスタッフの尊厳を守る為にいうけど、彼らがいないと活動は成りたたないし、それは完璧ではないにしろ俺の苦手なことをしっかりサポートしてくれてる。本当に感謝。
だけど、あくまで'手伝ってくれる人'であって、'管理者'ではない。
先回りして教えてくれたり、ミスをチェックしてくれたり、リマインドや外部交渉や予算管理をしてくれる'マネージャー'ではない。(スタッフとマネージャーを混同してる人結構居るよね)
そうなると、とにかく不安だ。
あれを忘れてないかな、間違えていないかな。
自己判断の遅れがすべての失敗や中止に繋がるので、常に気が抜けない。
ただ、過去の経験であったようにズボラな人が間に入ると、むしろ自分の知らないところでそれが発生して、気が付いた時にはもう手遅れになるので、これに関してはかなりメリットも大きい。
単純に'時間がないこと'に対しての要素をあげてるだけね。
ほっといて安心する時間もあった代わりに、あとでショックを受けるのとどっちがいいか、という話。
2.レーベルが存在しないこと
レーベルなんて意味ないという声も昨今よく聞くけど、それは付き合い方によるよな。とすごく思う。
というか、やはり大手のメジャーレーベルは何次もの審査を受かってる猛者なので基本値めちゃめちゃレベルが高いと感じる。
自分の得意分野のことを早口で喋ってもだいたい通じる。
自主になり外に出て思ったことは、
あれ?この話通じないのか、前の人が凄かったんだな、だったり。
本当に優秀な人が多い。きっちりこっちの意図を汲み取って建設的な会話ができる。多くの人が関わればそれだけミスが増える中で、ぴったり発売に間に合わせ、イベントを行う。宣伝を組む。1日にびっしり10社のインタビューを組む。(これ一回やったけどまじ難しかった)
例えば10人関われば3人締め切りを守らなかったりする。
10社関われば3社振り込み期限を過ぎたりする。
そう言った日々起こるトラブルに対して、臨機応変に対応している。
プレス工場や権利関係のやりとりもかなりの専門知識を要するし、それの勉強の時間を省ければもっと他のことをできたと思う。
はっきり言って苦痛だった。だって興味ないし。だけど、知らないことでたくさんばかを見てきたので、まずは少し知ってみるか、という感じ。
だけど、その中で原盤フリー楽曲ぼくのじゃないが産まれたりするから、面白い。
なんだって自分にしか見えない景色をアートにできる。
3. 自分が納得できるレベルが上がっていること
これはわかりやすい話だ。単純に続ければ続けるほど、自分のハードルを越える為にボツにする音楽や言葉、デザインが多くなる。
もう死屍累々。だけど正に屍を越えていけ、である。
(全然関係ないけどAAAMYYYさんの屍を越えていけって曲凄くいいです)
屍の数だけ新しい作品が光る、と、までは言わないけれど、きっと大切な犠牲なんだと思う。
でもそれは表現者として当たり前のこと。過去は、ずっと戦うべきライバル。
4.選択肢が無限にあること
Youtube を始めとした動画配信サイト、そしてTwitterやinstagram等のSNS
とにかく活動する為のツールが自由すぎるほどある
縛りのない反面、何を自分のキャラクターを活かして、どんな風に発信するのか。日々考えさせられる
スティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていたという話は有名だけど
決定は人を疲れさせる
不思議なことにそれが'楽しいこと'であってもだ
これはこの2年間で痛烈に感じたこと
作詞作曲やアートディレクションだけでなく、スタッフ組や予算分配までのありとあらゆる決定があるの当たり前なんだけど。
でも弊害が出た
友達と居る時、何食べる?どこ行く?
などの決定が下せない。
まじでなんでもいい、のである笑
だから今、決定するのが得意な頼もしい女の子が出てきたら好きになりやすいかもしれません笑
Twitter6つ / insta3つ / blog2つ / HP3つ / LINE 1つ / オンラインサロン 1
気がつけばこんなにあった、本当に退屈しない人生だ!
と、単純に時間がない理由を挙げてみた。
こうなると優先順位をつけないと活動ができなくなるので、時間を食うブログは後回しになる。
こんな風に書くと、じゃあ誰かに任せればいいじゃん!って声が聞こえてくる。
「一人じゃ無理だから人に頼りなよ」
耳が痛くなるほど言われた言葉だし、実際正解も多く含んでいる。
でも、この2年間の大きなトラブルは大抵、「誰かに任せたこと」だったのも事実。
だって、みんな大変な現代。人の人生にそこまで一生懸命にやりたくないじゃんね。そんな人いたら本当にレアキャラ。誠実の見本。
誰だってサボりたい。定時に仕事から帰って遊びたい。家でチルしたい。時間外に仕事なんかしたくない。
いや、これだと責任転嫁してるっぽいな
「中途半端に誰かに任せたこと」のトラブルが多かった。
この人は、このチームは、これぐらいできるだろうな。っていうのを見極めて任せることが一番大事なんだなって知った。
音楽ってすごく不思議。過去にCDが大量に売れていた時代の環境から、脱しきれないでいる。
シンプルな言い方をすれば、本当は必要のないもので溢れている。
知れば知るほどびっくりする。
心底頑張ったミュージシャンがやっと得たスズメの涙ほどのギャラよりも、数時間の整列のバイトの方を派遣する会社に払うお金の方が多いなんてことが平気で起こる。
もはや疑問を持つことすら辞めてしまった案件、で溢れている。
もちろん整列のバイトさんをお願いするのに2社くらい通してるので、本人達には完全に届いてないんだろうし、その仕組みの必要さもある程度理解できる。
だけどこれは1例で、他にもたくさんそんなことがある。
例えば音楽配信に関して。昔会社を通して配信していた時は、報告も何もないので、何曲売れたか何曲ストリーミングで聞かれたかなど、全く情報がなかった。
今はTunecoreさんを使わせて頂いてるんだけど、いつでも情報がわかる。なんの曲がどれくらい聞かれていて、どこの国で人気なのか、すぐにわかる。
当然、自分の手元に残るお金も増える。
頼むことによって、わからないことも余計なフィーも増える典型的な例だ。
そういったことに直面するたび、すごく不思議な気持ちになった。
「お前らが売れてないからだ!」ってすぐ言う大人のあれは、マジで思考停止だよなーって思った。
だって、まず無駄を省くことを一切考えてないんだから。
あ、でも作曲も練習もせず飲み歩いてるだけのバンドマンとかは論外ね。
もちろん無駄を省くってことは、今いるスタッフとアーティスト一丸となって、まず自分でできることをやろうよって話。
あえて言うけど、みんなが分かってる通り、バンド時代よりsleepyheadは'売れてない'です
だけど、好きなことができなてないか?と聞かれると、即答で答えられる
いや、ムッチャできてる!
めっちゃ通り越して、ムッチャ、である。
必要以上に無駄を省き、(必要な無駄もあるから矛盾してるな笑)自分で動かせる予算が10倍くらいになったから、音源や映像にかける予算は時にはメジャーレーベル時代よりも多くなっていたりする。
今思う最高の環境でものづくりできてる。特に赤坂BLITZのDVDやばいです。音の絵も最高傑作。ありがとう畝原さん、YUTAROさん、二宮ユーキさん。一つの夢が叶った感。
それは何より、AIに選ばされる好きじゃなくて、自分で選んだ'好き'を手にとってくれるファンのおかげなんだよね。本当にいつもありがとう。
みんなのおかげで、純粋に好きなものを作れています。
余計な壁がない分、前よりも純粋に、関わり合えている気がするよ。
話は戻って無駄は省くの話だけど、もちろんあちらにはあちらに理由があると思うんだよね。わかりやすく、食べ物やレストランの話に置き換えよう。
あるチェーン店のレストランには、全店に高性能電子レンジがあり、ボタン一つでどんな料理もできました。
ただ、少しだけ常に行列だった頃と比べると少し落ち着いたこと、メンテナンス費用が高額であることから、高性能電子レンジを置くことをやめて、手作業の分量を増やすことにしました。
まぁ、この先の想像は簡単だよね。そんな便利を知ってしまった人達が、みんな元の面倒な工程に戻れるんだろうか?
ただ美味しい料理を届けようと情熱を込めていたあの頃に。
きっと、みんなが戻れるわけでないと思う。
最初からレンジを使っていた新人も居るだろう。
それに電子レンジに頼ることによって、安く提供できていたこと、代わりに宣伝や接客に力を入れいてた、など。
もうすでに他のことを最大限頑張っていて、サボりたい気持ちからではなくどうしようもなく戻れない人もいると思う。
だけど、お客さんからしたら、料理の価格が上がって足が遠のくなんてことも考えられる。
こんな大変なことやってられない!ってみんなやめていくかもしれない。
そんな風に考えてみると、もう誰も悪くないのに、なんだこの結果はなんてバッドエンドになりかねない。
だけど、きっとさなんか方法はあると思うんだよね。
例えば、まず心を鬼にしてサボっていた人をクビにする。(その後も友達で入れたら最高だけど甘いか?)
残された人数じゃこの席数対応できない。
じゃあステージ作って、ミュージシャンが演奏できるようにしよう!それをネットで観れるようにしよう!来店者はもちろんデリバリーで頼んだ人もそのミュージシャンに投票できるようにして、毎年コンテストを開こう。
じゃあ展覧会や展示会を開けるスペースを作ろう。その作品とコラボしたメニューを月替りでだそう。
もちろん綺麗事です。だけど、そんな楽しい綺麗事を考えていく方が楽しい。きっと一生懸命やったらなんとかなる。
最初から高性能レンジに頼らず、そもそも少ない人数に満足してもらえる価値を産み出すのも一つだしね。カウンターの寿司屋さんなんて正にそう。
音楽をやるにはこうだ!って言う主流の考えを疑って、まず無駄を省くこと。
本当に必要なことはなんだろう?ってことを見つめ続けた2年間だった気がする。
なんども同じ悩みを繰り返してるって言われることも多いけど、それは当り前のことだと思うんだよね。常によくしていきたいわけだから。
俺はそんな想いで、苦手な数字とにらめっこすることもある
ミュージシャンが本来すべきことでないのかもしれない
だけど、それがダサいことだとは思うわない。
こんな時代にみんなが一生懸命手にとってくれたチケットや作品のお金がどこか無駄な贅沢に消えてしまうなんてこと、あっちゃいけないよね。
このミュージシャンが本来すべきことでないのかもしれないってのがまずひっかかる感情のままに生きるのが'っぽい'けど、そんなこと言い出したら掃除やなんもかんも全部したくない歩きたくない髪洗いたくない息も吸いたくない区役所行きたくない、である。そのストレスを芸術にぶつけている節すらある
まぁ確かに何にも知らないミュージシャン、である方が強いってケースも多々ある
脱線したけど、たどり着いて思うのは、自分は誰かを完全に悪者できないと言う性格からくるストレスが大きいなと思ったからこそ、中途半端に人に頼るのを辞めないとなと感じた。
忙しいとかよりも、きっとそっちの方がでかいんだなとやっと少し理解できた
何かトラブルがあっても、きっとこうだよな、辛いよな、と相手の気持ちになって客観視する癖がついてる。
迷惑をこうむっても、相手のせいにすることができない。
それは優しさとも言えるし、優柔不断さに繋がる。
そんなストレスも軽減する為にも、無駄を省いて、信頼できる人と協力しあって進んでいきたいと思う。
外から見ると変わってないように見えても、ちゃんと失敗と挑戦を繰り返していて、今、良い方向に進んでる実感がある。
中途半端に人に頼ることを辞めて、少数精鋭で、情熱を注ぎ、夢を実現する。
きっと簡単なことではないけど、そこに人生の人生の幸せがある気がする。
苦手なことは人に頼みたいのも本音だけど、得意な人がテキトーにやるパターンもあるし、意外と得意じゃないのに仕事にしてる人もたくさん居る。
だけど、バランスよくしないとね。身体を壊して思ったけど、正解なんか日々変わっていくし休みたくなったら休みます。
今年は旅も増やしたいしね。
その代わりちょっとぴりライブは空くかもしれません。
なぜかすぐツアーがあると思われる節があるけど、少なくとも半年以上はないのでしっかり2周年ツアーきといてね
ファイナルは2周年当日、3/17渋谷WOMです!
うーん結局何をメモしたかったんだっけ。
あれかな、不安だから完璧主義であろうとすることかな。
常に常に何かに打ち込んでないと不安だから、向上心を持って活動しなきゃいけないって本能がいまも動き続けているから、楽しい反面同じくらい苦しいんだと思う
それは自分の人生であって、それを関わる人に押し付けちゃいけないな
だから、納得できるように極力一人でできるようにしよう。
無駄に頼らないようにしようってことなのかも
センチメンタルワールズエンドという作品を作るにあたって、あらゆる方向から自分の人生に向き合っています
オチや綺麗なメッセージもない言葉が増えてくると思うけど、その中で大切なものを磨き上げあげていけたらなと。
完璧主義者といえばかっこいいけど、自尊心というものが欠如している
子供の頃から完璧にできないものは避けてきた
そのコンプレックスからか一番苦手な音楽をメインに選んだの不思議
ありのままの自分に満足できたことがない
常にもっと向上心を持っているとも言えるし、自分自身へ絶望している
いや、自分というものに期待しすぎているからかもしれない
人に愛されようとしない癖は、そう言った生き方も影響しているのかもしれない
本質を知られると愛される価値がなさそうだから、間違って愛されないように予防線を張って生きている
誰かと居て何かをして、心から安心できると感じたことがない
今この人は何を思っているんだろう、違う角度から見たらどうなっているんだろう
自分を客観視する癖が消えず、今もまだ自分の人生の主人公になり得て居ない
純粋に主観で生きられるという意味ではステージが一番近い
ゾーンみたいなものに触れられる、貴重な時間なのかもしれない
基本は全演出などを客観視して世界観を作り上げるタイプだけど、たまにもう少しはみ出して、我を忘れる感じがある
プロとしてはわからないけど、それはそれで心地いい
だけど、安心とは違うか
安心、自尊心、自己肯定
それらがないからこそ産み出してこれた音や言葉、アートを積み上げてきた13年間
この先どう変わる?どう変わっていきたい?それとも変わらなくていい?
そう言った問いかけをするためにも、わざわざえぐり出してまでいろんな過去や感覚に触れたい
その上で作品を作りたい。
ファンタジーも好きだけど、もっと核心に触れてみたい
どう転ぶかわからないけど、かけがえのない作品になるのは間違いない
その一欠片がぼくのじゃないなのかも
これから、もっと深くまで迫ります
怖いけど、楽しみだ
いつになるかわからないけど、しっかり産みます
結構難産っぽいなあ
代わりになんかサボろっと。
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