定期的に自分の欠陥を知ること。

久しぶりに体調を結構なレベルで壊した。

しばらく我慢してたけど、いい機会だししばらくどこか自然な場所に休養に行こうかなと思いきや、毎日通院かそれとも入院かその選択というレベルまで達していたので、そうもいかないみたい。

ここまで壊したのは去年の5月以来だ、ってまあまあ最近だな。

倒れること自体で悩むことは不毛だ。

昔からのファンは知ってる通り、もともと免疫力がないので、割とたくさんの病気に倒れてきたと思う。

なので、もう自分が弱いということに対して悩むのは辞めてる。その行為時代からは何も産まれない。

だけど、「なぜ倒れたのか」と向き合うこと。

そして「今、倒れてしまった自分に何ができるか」と向き合うことには意味があると思う。

定期的に、自分の欠陥を知ること。

それは、逆説的に自分の長所を知ったり、何かの燃料になることは確かだ。

根本的に、努力の天才型ではないと思う。あきらかに面倒くさがりやだし、根気がない。

だけど、自分というキャパを明らかに超えた熱量を持って打ち込み、熱中して覚醒モードに入るときがある。

そういう時は全てが上手く行って、自分で言うのもちょっとなんだかなって感じだけど、明らかに不可能を可能に無理やり塗り替えていけるときがある。

アーティストと社長の二刀流。しかもマネージャーもレーベルもなし。ブランドもやる。それは、実務として'不可能'だと分かってた。頑張ってなんとかなる量じゃない。

だけど、人間執念のようなものを燃やして没頭したら、実際なんとかなった。もちろんたくさんの人の支えがあって、そのおかげ。感謝したりない。

ただ、中心人物の熱量としてだけじゃなく、スケジュール管理や交渉含めて一緒くたにして動かして行くには流石に無理がある。

そう、無理があったじゃない。無理がある、がポイント。実際乗り越えたわけだから。

出来るか出来ないか、よりも、続けられるか続けられないか

その一段上のレベルまできた。その事実は残酷でもあり、かつそこまでは登ってこれたという功績でもある。

もちろん何も手を打ってないわけじゃない。これからの形を作る為に外注スタッフを増やして組織づくりを去年から頑張ってたりもする。

3D音楽という、音楽から派生するアートやファッション、映像という、はたまたたカジノやバーなど多角的に広がっていく世界をマネージメント、つまりは管理できるキャパの人物なんかそうそう出会えない。そんなの怪物。

スーパーレアキャラ。そんな激レア人物と出会う運がなかったことが試練の始まりだったのかもしれない。

運も実力の内、なんて言うけれど、俺はあんまりそれは信じていない。

全ては結果論だし、それを認めてしまったら、同級生に相棒がいた、とかそういった幸運の前にひれ伏すしかない。

そうじゃなくて、そんな奇跡的な出会いがなくても。惹かれあって互いに面白いと思い繋がりあった人物同士で奇跡を起こして。

それを結果的に奇跡的な出会い、と呼びたい。

何が言いたいのかわからなくなってきたけど、これは主張というよりも自分の整理と記録なのかも。

話を戻すと、責任が増えたからとか挑戦し続けてるから、とか倒れた理由を考えてるうちに、また違った角度で見えてきたものがある。

あれ、そもそもいい格好しようとしすぎてない、最近?

ってこと。

そういえば、アーティストとしてファンに対して。

社長として関わる人全てに対して。

みんなを安心させなきゃ!って思うがあまり、不安定なことや疲れているところを見せない癖がついたなーって。

完璧でいなきゃ!常に楽しんでいなきゃ!

って気負い過ぎてたのかも。初めてのことばかりなのに100点狙い過ぎてもしょうがないのに、失敗や絶望を隠しすぎてたかもなって。

 アーティストが情熱を持って頑張れば、自分の足だけで音楽で生きていける!っていう事実をちゃんと作って、後輩に道を示したいって勝手な使命感もある。

それ自体はすごく大事なことだし、これからのテーマにもなるけど、2年やそこらで完璧にこなせるような簡単な道じゃない。

子供の頃から何度も何度も身体が弱いことを呪ってきたけど、その度にその自分に与えられた時間を無駄にしない!って、芸術と対話した。動けないもどかしいとき何本も映画を見て、読書をして、ベッドの中で妄想した。それは今でも血となり肉となってる。

そうだ、社長なんて堅い言葉に紛らわされて、スーパーマンみたいな出来る男目指さなくていいんだった。

そんな肩書きが欲しかったわけじゃない、自分の音楽を。世界観を。それを支えてくれるファンを守る為に、仕方なく社長という名前の代表になったんだった。

根底にあるのは人に預けると、自分の思う正解を選べる権利がなくなってしまうという絶望から。

その燃料で2年間ありえないエネルギーを生み出し、sleepyheadをやってこれたのは事実。

弱いやつが、大切なものを守る為に、仕方なく強なろうともがいて、傷つきながらも理想に向かって行く。

でいいんだった。

もうちょっと弱いとこ見せよ。

強い、弱いが大事なんじゃない。

大切なのは

弱くても、前を向けるかどうか。

それだった。

そして、逃げずにちゃんと傷つくこと。

向き合った先から、またきっと大切な作品が生まれる。

俺は何よりも前にアーティストなんだから。

今までのように人一倍傷ついて疲れてボロボロになって、その分いい作品を産み出せればそれでいい。

だからしっかり弱さと向き合いたいと思う。

そして、その弱さからくる感性を持って、じっくりと今年作るもののに落とし込んでいきたいとおもう。

センチメンタルワールズエンドという作品を、時間をかけて描いています。

それはフィクションとノンフィクションが入り混じった音楽作品で。今まで一番自分の弱さや、人生観の根元に触れていく作品。

正直、すごく怖い。

でも同じくらい、楽しみ。

このかけがえのない作品を作るための、武者震いのようなものなのかもしれない。

しばらく休んだ方がいいね、ただ自分にあった休み方を。

今の自分に、必要なことをやろうかなと思う。

心配かけてごめんね、だけど、心配かけないように溜め込みすぎてごめんね、とも思う不思議な感じ。

弱くても、強くあろー。

無駄な挑戦やめて、これだけやればいいのにって無謀に見えることも、実はねその挑戦がないと今在る場所を守る為ってことに繋がってたりするんだよね。

伝える情熱を失くさずに、伝えていきます。

前向きに言うと、体のSOSとして、悪い箇所が在る程度だけど絞り込めたってのも少し安心したんだ。

この1ヶ月間。考えてることをクリアに話せない。急に意識が飛ぶ。頭痛。ただただ身体が怠い。無気力。

鬱病的な方向の症状がかなり強かったので、うわーこんな程度の忙しさやトラブルで参っちゃってるの俺?まじかよーって

自分にがっかりしてるところあったんだけど、明らかな身体の炎症数値を見つけられて、ある意味少しホッとした。

マネージャーがいない分、外部の人としっかり直接熱意を伝えられるメリット。

逆にすれ違うと盾が全くない状態でそれぞれとの問題解決が必要なデメリット。

相手の正義を考えれば考えるほど、自分勝手にはなれなくなる。

知れば知るほど、正論ではどうしようもないことにぶつかる。

その中でも自分の理想を描き続けることの大変さ。

不可能を可能にしていくことの難しさと、そのやりがい。

その矛盾と戦い続けるために、少しいまは休んで。

今だからこそ出来る吸収をしたいなと思う。

大丈夫。その繰り返しで、弱くても強くなってきた。

こんな自分だから出来るメッセージを産み出し続ける。

まずは隠してばっかのいい格好しいは、ちょっと卒業しなきゃね。



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