バードフェイス
午前８時。
私は起きてすぐ異変に気づいた。
私には変なクセがある。
目を覚まし、背伸びをした直後に、可愛くてもちもちの頬に触れる。これが、私の１日が始まるサインだ。
今日もいつものように頬に触れる。すると、何故か変な感触がした。
まず、肌がでこぼこしている。洗顔は毎日欠かさずやっているのに。それに頭皮のてっぺんが痛い。髪の毛が引っ張られているみたい。
「どうしちゃったんだろ」
急いで鏡を見に行く。洗面所の電気を付けて、ぱっと顔を見る。
——は？
顔が、私のものじゃない。“私のものじゃない”って言うか……。
なんて言えば良いんだろう。
見たまんま言葉にすると……
顔が、【ニワトリ】になっている。
比喩ではないし、雰囲気がそれっぽい、というわけでもない。
どう見てもあのニワトリ。
思わず叫んでしまった。
しかし、その叫びさえ、人間のものではなくなっていた。
「コ、コ、コケコッコーッ！」
すると下の階からお母さんの怒鳴り声が。
「ちょっと由衣、朝から何ふざけてるの？」
「ち、違うの！ ふざけてるんじゃないの！」
あ、会話はいつも通りに出来るんだ。叫び声だけかぁ。
良かった良かった……
いいえ、全然良くない！
問題はこの顔！
どうしよう。どうやって隠せばいいんだろう。
「バカなことしてないで、早くいらっしゃい！ ご飯出来てるわよ」
お母さんが急かす。
これで、行くしかないのか。
ゆっくりと階段を下りる。居間から聞こえるテレビの音が段々大きくなっていく。お母さんはニュース番組を観ているらしい。
うわ。変に緊張してきた。
やっぱり幻覚だったりしないかな。最近、ストレス溜まってたし。
もう１回顔を触ってみる。——うん。やっぱりニワトリ。
居間に向かうまでの、あと３段のところで、手すりを掴んで固まった。
お菓子食べてるのかな。ガリガリと音が聞こえる。
はぁ。もういいや。
こういうのは勢いが大事なんだよ！ 多分。きっと。
意を決して、早足で階段を下り切った。
そして“本家”ばりの大声でお母さんを呼んだ。
「お母さん！ あの、ね……」
「ぇえ？」
お互い凍りついてしまった。
お母さんの顔が、【ツバメ】に変わっていたのだ。
ああ、今もツバメのように口を大きく開けてお菓子を頬張ってたのかな。
その様子も可愛らしいけど、今はそんなことを言っている場合ではない。
お母さんは小刻みに首を傾げて私の顔を観察している。
そしてひと言。
「あんた、なぁにふざけた顔してんの！？」
このツバメにも、私の顔はニワトリに見えているらしい。
ただ、私は“ふざけた顔”という言葉が引っかかった。
「はぁ？ ふざけてるのはそっちの方でしょ？ 鏡で見てきなよ！」
「あたしの方が可愛いじゃないの！ 何よそれ？ あんたどうすんのよ？」
自分が“ツバメの顔になってる”自覚があるんだ。
それにしても、何というプラス思考。
良かったね、可愛い鳥で。
何だろう。とんでもない状況なんだけど、敗北感の方が強い。
落胆する私。
母はそんな私に見向きもせず、番組名に“鳥”を意味する単語の入った、名前に“鳥”のついたアナウンサーが出演しているニュースを見ている。その、つぶらになった瞳で。
番組の出演者はまだ人間の顔だ。じゃあ鳥になったのは私と母だけ？
先に出かけた父はどうなったのだろう。
窓に近づいて、そーっとカーテンを開けてみる。
すると、そこには夢のような光景が広がっていた。
いつもおしゃべりばっかりしている田村さんは、顔が【オオハシ】という嘴の大きな鳥に。顔が変わっていても声でわかるし、声を発していなくても何となくわかる。ああ、田村さんだなって。
それから、誰かはわからないけれど、【フキナガシフウチョウ】や【クマゲラ】、あと同じみの【ハシブトカラス】に【ハト】まで。クマゲラに目をやると、他の人の悪口を言って“つついて”いる。
「お母さん！ 外、外がヤバいんだけど！」
「あぁ。ね。父さんは【ヘビクイワシ】だったよ」
何でそんな冷静なの？ そういうものなの？
どうでも良いけど、お父さん、ヘビクイワシだったんだ。人間の頃よりイケメンじゃん。
うーん。外がコレなら大丈夫か。
大学の講義に遅れそうだったから、パパッと支度を済ませて外に出た。きっと友達もこんな感じだと信じて不安を拭った。
でも、ニワトリなのが痛かった。
私の顔を見た人たちがクスクス笑っている。笑うたびに嘴がカチカチと鳴るからすぐにわかる。「コイツも笑ってるんだな」って。
もういい。笑うがいい。
お母さんを見習って、私もプラス思考になることにした。風見鶏だってニワトリがモデルだし、見越しに乗っている、あの……金ピカの鳥もニワトリに似ている。
酉年の鳥はニワトリ、朝を告げる鳥と言えば、やっぱニワトリ。
え。ニワトリ、結構スゴいじゃん。
面白いもので、考えを変えるだけで気分も良くなってきた。
駅に到着。駅員の顔も【キジ】に変化している。
電車を待っていると、
「あ、母ちゃん？オレオレ！」
近くでいかにも怪しげな会話が。
さりげなく振り返ると、【九官鳥】の顔と目が合った。なるほどね。似合ってんじゃん。
目が合った直後、相手のオレンジ色の嘴がカチッと音を鳴らした。
コイツも笑いやがった。
ムカついて視線を戻すと、ちょうど電車が到着した。運転手は私たちの顔を見ると目を見開いて驚いた。
あれ？
運転手の顔は人間のままだ。何故だろう。
もはや無意味なんだけど、唯一の人間に顔を見られぬよう、顔を伏せて乗車した。奇跡的にまだ席が空いていたので、【鵤】と【七面鳥】の間に座った。すると、発車して間もなく向かい側の客が笑い始めた。子供だ。【ワライカワセミ】の顔をした子供。親も全く同じ顔をしている。
「ほら、駄目よ笑っちゃ」
あんたも笑ってんじゃん。
言い返してやりたかったが、面倒なことになりそうなのでそれは止めた。それに、私の席をドア付近から【ハゲワシ】が狙っている。ここを立ったら奪われる！
それから１時間、私はどうにかその座席を守り抜き、足に疲れを溜めること無く大学に到着した。
予想通り、学生達はもれなく鳥になっている。……が、その中にまた人間を見つけた。制服を着た女子高生だ。きっと、ここを受験するんだろうな。
ずっと見つめていると、その女子高生と目が合った。相手の顔が見るみるうちに青ざめていくのがわかった。これ以上怖がらせないためにも、私はニワトリ面を逸らしてキャンパスに入った。
「あ、由衣？」
後ろから誰かが声をかけてきた。この声は友人の彩花だ。その名の通り容姿端麗で、鳥面になっても【ケツァール】という、世界で最も美しいとされる鳥のものだった。
「いいなぁ」と思わず呟いた。
「ふふふ、あたしも何か嬉しかった。こんな綺麗な鳥の顔になってるなんて。あ、でもほら、由衣だってさ、その……日本代表みたいでいいじゃん」
それは【トキ】だろうに。必死にフォローしてくれたのは嬉しいが、頑張って塞いだ傷がまた開いてしまった。
今日は何だか騒がしい。
声のする方を見ると人だかりが出来ている。男子達が１人の女子を取り囲んでいた。周りを固めているのは【ムクドリ】、そして中心にいるのは【ハチドリ】。
ハチドリは、多分佳代だ。
佳代は校内で１、２を争うぶりっ子だ。鳥になったらあんな綺麗な顔になっているのだから、心の中ではほくそ笑んでいることだろう。あの子の顔がニワトリになれば良かったのに。
群れから離れてチラ見するムクドリも数羽見つけた。カッコつけやがって。顔に出てんだよ。
「ちょっと。目、ヤバいよ」彩花が注意した。
「元からでしょ、ニワトリなんだもん」
しかし、私たちの顔は何故鳥になってしまったのだろう。そして、何故人間のままの人もいるのだろう。何か共通点があるのかもしれない。
ふと視線をずらすと、ベンチに１人腰掛ける女学生が。名前は確か、木村陽子。学内１の成績を誇る秀才。へぇ、ああやって朝から予習復習してるんだ。
そんな彼女の顔は——人間のまま。
そのとき、私はハッとした。
“鳥人間”と、真人間の違い。
人間だったのはアナウンサーや電車の車掌、受験生に優等生だった。彼等の共通点は、何かに対するやる気が強かったり、集中力が高いこと。
反対に私は、これまで通りの生活を送ってはいるけど、真人間に比べたらぐぅたらだし、しかも鳥面であることを何だかんだ受け入れている。
これは、“やる気”が形になって現れた結果だったんだ。
「どうしたの？」
「彩花」
「何よ、急に真剣になって」
「私たちも本気、出さないとね」
「え？ ……うん」
私の中で何かが変わった。
すると、頭部の痛みが少し引いてきた。肌の感触も、ちょっとだけスベスベになっている。
スマホで確認してみると、まだ顔はニワトリのままだけど、心なしか瞳が人間っぽくなっていた。真人間に戻ってきてるんだ。
「由衣！」
私を呼ぶ元気な声。
この声は雅哉だ。私の彼氏。
「雅哉！」
私は勢いよく振り返る。
こちらに向かって走ってくる雅哉の顔は——ムクドリだった。
気づいた時には、ムクドリ顔のソイツを蹴飛ばしていた。
【あとがき】
大体10年程前の作品。
加筆・修正をしていたら文字数が増えました。
中学生くらいの頃。
勉強が嫌いだった自分は、怠けているときに「顔がヒヨコみたいになってる」と親に言われました。親が言うには、怠けている時はいつもヒヨコ顔とのこと。
そんな思い出から着想を得たのが今作です。
果たして、主人公はただの「ニワトリ」だったのでしょうか。「軍鶏」だったのでしょうか。
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