20240108 成人式

成人の日。
自分の成人式から1年が経過したが、それ以前とそれ以後の違いなんて、目に見える形では一つもない。
ただ、見えないながらに明確に違う点といえば、「過去に戻りたい」と思うことがなくなったことだ。

1年前の成人の日、私はいつも利用している美容院へ行き、着付けを済ませ、その日一番の目的であった“祖父母に晴れ着姿を見せる”を達成した。

正直に言えば、私は振袖を着ることに憧れも執着もなかったので、「お金かかるし、成人式に行くつもりもないから着ないよ」と母に言っていた。その一方で、祖父母は私の晴れ着姿をとても楽しみにしていたし、「20歳になって晴れ着姿を見るまでは死ねんなあ」と言っていたので、あと何回出来るか分からない祖父母孝行(そしてそれは親孝行でもある)をするために着ることにした。気乗りしていなかったので振袖選びにはまったくやる気がなかったが、成人式に行くつもりもなかったので、当日の雰囲気は~友達の振袖は~とかいうものをまったく気にせずに、好きな色の好きな柄を選んだ。20歳になる日に撮ってもらった写真はかなり気に入っている。私は自分の容姿の自信のある方ではないので、風景や食べ物の写真を撮ることの方が多く、ライブラリに自分の写真があるというのは何ともくすぐったい。

当日、式には参加した。夜に予定されていた同窓会には参加せず、式の後に姉とプリクラを撮ってから着替えて、再び祖父母の家を訪れてみんなで鍋を囲った。振袖で姉とプリクラを撮るというのは2023年にしたいことの一つであったし、この本来の目的は祖父母孝行だったので、大満足だった。
私はもともと旧友に会いたいという気持ちが薄く、そして仲が続いていて会いたい相手には直接連絡をとればいいというのが持論であったので、同窓会はもとより式にすら行こうと思っていなかった。実際、当日着付けを終えて一時帰宅したときにもかなり悩んでいた。
結局は行くことにしたが、それも父に「成人式に行かないなんて友達はいないのか」と言われたことにへの反抗心からだったように思う(父には一切の悪気がなく、私の機嫌を損ねてしまったのをひどく気にしていたらしい)。
行くと決めてからは、同じ中学だった友達に一緒に行きたい旨の連絡を入れ、会場に向かった。

中学生だったころのことは良くも悪くも覚えていない。それでも少しだけ、「もし~していたら」「もし~していれば」と思うことがあったが、その思いへの決着もこの日についたように思う。

会場に着いてはじめに思ったことは、「たまたま同じ年に生まれて、同じ地域に住み、同じ学校に通っていたというだけでここに集められるのか」ということだった。ひねくれているのかもしれないが、本当にそう思った。当然のことなのだが、周りを見渡しても、話すことがあるのはほんの数人だ。それも連絡先を知っている人ばかり。私にはそのときその空間にいた人たちが私のすべてではないことも、その人たち以上に気の合う人だっていることも、そんな相手と同じ時間をすごした方が何倍も記憶がきらめくのだということも、私はもう知っていたのだ。過去を美化して期待して、たられば話をしていたのが嘘みたいだ。私は中学を卒業してから5年経って、ようやく過去のものを過去のものとして飲み込めた。消化できた。すべて過去のことだ。過ぎ去ったことは元には戻せないということも、私はもう知っているのだ。過去を過去に置いてこれたこと、現在と切り離せたこと。それが、私が成人式に出たことの意義だ。


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