対私恋愛感情撲滅委員会

恋愛感情がマジで全然わからない。

人を好きになったことがない、おそらくこの先もなることはないと言うと、世間の面々からは理解ができないと顰蹙を買う。実際母には「天使にラブソングをみたいな、あのあれ……シスター?のいる所もあるよ」と、何故か可能性のひとつのような態度で出家を勧められた。尼さんになりたいなんてこちとら1ミリも言っとらんのだが???

人並みに他人に好かれたことはある。恋愛感情、とでも呼ぶべきもの、世間ではそう表され、大手を振って公道を闊歩している類の執着を向けられたことはある。
私には、何故その感情を指向されるのが私である必要があるのかも、相手の中にある理想の女という虚像を愛しているだけなのではないのかも、そもそもそれは本当に恋愛感情なのかも、何一つ分からなかった。他人の感情が理解できるなんて自負は驕りでしかないけれど、少なくとも私にとってそれらの感情は愛ではないと思った。私の人格と意思を軽んじられ、私が育った歴史を無視され、女体という私を更生する一部分、女性というジェンダーロールだけを切り売りするよう一方的に、かつ不当に要求されたと感じた。私に対する彼らの、己の要求が受け入れられて然るべきとでも言うような態度はただただ不気味で、無礼でしかなく、酷く気分が悪かった。

何が言いたいのかというと、つまる所私が訴えたいのは世間の無理解や古式ゆかしい性規範の是非ではなくて、自分に向けられる恋愛感情は何故こんなにも嫌悪感を催すのか、という点である。
この嫌悪感は生理的嫌悪とでも言うべきもので、並べ立てた理由は後付けに過ぎない気もする。
彼らは私を軽んじているつもりも足蹴にしているつもりも舐め腐っているつもりもないであろうこと。信頼を裏切るつもりも、私を騙すつもりもないであろうこと。これでも頭では理解している。それでも抑えがたい嫌悪が湧き出でてくるのは何故なのか。

まず、人に性的に好かれたことに気づいた瞬間「舐められた」と感じる私にも恐らくかなりの認知の歪みがあることは認めざるを得ない。恋愛というのは舐めるとか舐められるとかそんなヤンキー漫画の世界みたいな価値観の話では無いのも一応はわかっている。それでも私の自前の感性はゼロコンマのうちに舐められ判定を出してしまうのだから仕様がないじゃないか。

他人に好意を持っていることを、なにかの特権のように思わないで欲しい。否、一歩譲って思っていてもいい。誰しもに平等に、内心の自由は保証されている。それでも、その特権意識を私に対して一方的に振るわないで欲しい。その出処の分からない執着を振りかざして、自分に好かれてさぞや嬉しかろうとぐいぐい押しつけないでくれ。別に嬉しくないので。ていうか嬉しいわけないだろ。好意を持ってこちらに攻撃しておいて、反撃の想定もしない脳髄のフラワーガーデンをどうにかしろ。ゴリ押しで無理矢理自分の希望を通そうとするな。そういうところが人の感情を舐めてるって言うんだよ。

そう、そうだった。私は私の人格、思考、行動をなきもののように振る舞われるのが一番我慢ならないのだった。「あなたのためを思って」「あなたが好きだからなのに」なんていかにも親切ぶって私を縛ろうとする言葉には反対を表明せずに居られないし、私のためだと押しつけがましく責任転嫁をして、己のエゴに向き合わない有様にはどうしたって反吐が出るのだ。私は私自身が許した人にしか私の内側に触れられたくないし、私は私自身がこの人だと選んだ人にしか優しくなんてしたくないのだ。私自身が選んでいない人に、このなけなしの親切心や同情心を搾り取られるのは暴力だ。搾取だ。人を拒絶して傷つけることに私は気力と体力を要するけれど、この少々度が過ぎた自尊心と、決して侵犯を許さぬプライドの塊が私なのだから仕方があるまい。

私は私のプライドが許す限り、私でいなければならないのだから。

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