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逆自意識の話

人生は自意識との戦いだ。
まあ、金がないとか、色恋沙汰とか、睡眠の質とか、25を過ぎてから口の周りにできるようになったニキビとか、いろいろと戦いが起きるけども、特に自意識というのは厄介だ。その中でも、”逆自意識”に苦戦している。逆自意識、いま、勝手に作った言葉なので説明する。

最近、SNSのアイコンを全部変えた。このnoteにも使った。僕の横顔の絵だ。部屋で1人で横顔を自撮りして、それをトレースして作った。この絵一つとっても、逆自意識との戦いであった。

まず、部屋で1人で自分の顔を撮るという行い、恥ずかしい。”見る人が見たら嘲笑されるだろうな”と思う。続いて第2ステップ、自分の顔を描画アプリに取り込み輪郭をなぞる。これもキツい。親友に見られたら”ウケる”って言われそうだ。

この、何かひけらかそうという時に背筋に走る”ウッ...”という感じが逆自意識の姿だ。”見られたくない、僕はそんな価値ない”という隠れ蓑に潜んだ”見られてないの?僕はこんなに素敵なのに”という驕り。誰も見てないのに。

僕自身、たまに他人のわかりやすい正の自意識が目についても、実際どうでもいいし好きにしたらいいと思っている。でも、どうでもいいの海の中を仔細に探すと、嘲笑に近いものを感じていたりする。それが僕の行動の邪魔をする。面倒くさい。

“捻くれている”と言われる人たちって、実際ネットに自撮りをバンバンあげたり恋人の自慢をしまくる人よりずっと自意識過剰だ。”俺はわたしは性格悪いから”と開き直るひとたちが、実は1番狡猾だ。しかも、こういう人たちは頑固で折れない。”はいはいそうですね”みたいな、折れてる感を出して誤魔化しているが、折れてない。ギンギン。

僕も、地下を這いずる捻くれ自意識ボッキ人間のひとりだったのだが、それをなんとかしようとずっと思っていて、少しだけ変わってきた。僕の行為や生み出すものなんていうのはバカ広い宇宙のほんのひとつの事象に過ぎない。平熱で世界を見ろ。バファリン飲め。

とはいえ、自分のことを自分のこととしてちゃんと愛するのは大切でもある。それらを愛せるひとなんて、自分以外にはそうそういないからだ。極端であること、ぶっ飛んでる人はかっこいいけど、精神衛生を保つためにバランス感覚は必要だと思う。”僕は天才だ”とか”いい歳こいて引きこもってばかりでクズだな”と思っていればいい。丁度よく。

こいつらを、檻に閉じ込めるでもなく、放し飼いするでもなく、首輪なしで散歩できるようになることが、大人になるということかもしれない。

「スキ」を押して頂いた方は僕が考えた適当おみくじを引けます。凶はでません。