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痛いまま走る

相変わらず“希死念慮”と呼ばれる情動を水で500倍に薄めたジュースを毎日飲み続ける日々である。

楽しみなものであれ、嫌なものであれ、大雑把に散らかった予定は僕の体力を削っていく。6月。エスカルゴ。そんな日常のすき間を見つけては、アニメで埋めている。さながらアニメはパテだ。すなわち僕は左官職人だ。

とある制作の帰り、京王井の頭線2号車の隅で、僕はまたアニメを観ていた。

“やはり俺の青春ラブコメはまちがっている”

タイトルに騙されることなかれ。描かれているのは青春そのものだ。全25話を先ほど見終わり、”ありがとう”と呟いてしまった。

感謝の念とともに、”青春”とはなんだろうという、ひどく月並みな疑念が湧く。

痛いまま走るということだと思う。

誰かと関わることは痛すぎる。他人は直視するには痛すぎる。ていうか社会も世界も痛い。梅雨も夏もズキズキ滲みる。ロキソニンでできたプリンをくれ。

年齢を重ねて体力が無くなり、あるいはなんらかのノウハウを知って、痛みから目を背け、足の止め方を覚えるのだろうか。

僕はずっと、すべてのものには原因があるという前提に立ち、それらを知りたいと思って生きている。でも、あまりにもわからないことが多い。全部わからないから、いまだにアチコチが痛い。

ああそうだ。僕のことをスマホの画面越しに眺めている神様よ。僕はちゃんと走れていますか?


「スキ」を押して頂いた方は僕が考えた適当おみくじを引けます。凶はでません。