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サイトウを巡る回想

20歳の夏、選挙の出口調査のアルバイトをした。灼熱の炎天下、投票場である小学校の門に立ち、投票先の聞き取り調査をする仕事だ。

僕は、同じ派遣会社を通じて招集された「サイトウ」という男とペアを組んで調査をすることになった。サイトウさんが声をかけている間、僕が書類に調査結果を纏め、彼の聞き取りが終わったら役割を交代する。そんな段取りで日給1万円の仕事をこなしていく。

サイトウさんは「ハンプティダンプティ」を彷彿とさせる大男で、歳は50歳ほど、大粒の汗をかく姿は、宗教上の理由で無理やり真夏の島国に連れてこられた北極熊のようだった。

肌を焦がしつつ、調査数のノルマを果たした僕らは、投票所からほど近いファミリーレストランに入った。

出会ったばかりで名前しか知らない、歳もかけ離れた男とアイスコーヒーを啜る。雑談もせず、黙々と調査結果を集計していく。お互いに、金輪際会うことがないと知っている。興味もなければ敵意もない。課せられた共同作業だけがある。窓際のテーブルは、不思議な空気に包まれていた。

集計を終え、コーヒーも飲み終える頃、サイトウさんは語り始めた。

「私も昔はサラリーマンをやってたんですけど、辞めちゃいましてね。こうやって派遣の仕事をして、生活費を稼いでるんですよ。」

「趣味もないんです。でも、楽でいいですよ。しがらみがないですから。」

美少女ならいざ知らず、見知らぬ中年との邂逅を今でも覚えているのは、彼の目が印象的だったからだ。瞼を開いているのに、何処も見ていない。当時の僕は、ああいう表情の大人と話したことがなかった。

あれから八年が経ち、僕は新しい家に引越すことになった。三年続けた図書館員も辞めて、新しい生活を始める。

転機に差し掛かると、いろいろと怖くもなる。ただ、怖いからといって、無理やり前を向いてはいけない。心は脆い。人生は空転しがちで、希望も不安もあやふやな根拠の上に咲く麻薬である。

図書館に西日が差し込む。ここで過ごすのも残りわずかだ。慣れ親しんだ業務をこなしながら、サイトウさんを脳裏に浮かべた。彼の目は僕に思い出させてくれる。目を凝らさなくてもいいってことを。

「スキ」を押して頂いた方は僕が考えた適当おみくじを引けます。凶はでません。