「柚木沙弥郎 life・LIFE展」@PLAY MUSEUM 感想

柚木沙弥郎展を見に行ってきた。

今日は起きてすぐ、なぜかホックニーのペインティングのことを考えていて、80過ぎてこの感受性ってすごいよなぁと思っていたら、柚木沙弥郎も現在99歳でまだ現役だという。いくつかここ何年かの作品も展示されていたが、とても80-90代でつくったとは思えない。

最近、自分が20代には聞こえるというモスキート音が聞こえなくなってることを知って、ああ本当に知らないうちに歳をとっているんだなと思った。同じ世界を生きているのに、知らないうちに音が聞こえなくなっているというのはなにか恐ろしい。音が聞こえなくなるくらいだから、きっと感受性みたいなものも知らず知らずのうちに日々劣化しているのだろうなとそのとき思った。若い人間には感受できて、わたしには感受できないこと。実際、会社の人たちを見ていると、同じくらいの歳のデザイナーなどの職についている人たちに比べて、確実に老けている。内心可哀想だと思うし、恐ろしいことだ。一方で、ホックニーや柚木沙弥郎のように、肉体的に衰えても感性は迸り続けるお年寄りもいる。最近亡くなった戦前生まれのある建築家の先生も、やはり周りにその人からたくさんのことを学ぼうとする若い人間がたくさんいた。彼らが若い人間に追いつこうとするのではなく、若い人間が自ずと彼らの経験の深さ、そして感性の若さに惹きつけられてしまうのだと思う。

展示物は素晴らしかった。絵本の原画も展示してあったが、やはり柚木沙弥郎という人は、根がデザイナーなんだろうと思う。画面構成というか、テキスタイルやポスターが最もよかった。ただ個人的に、キャプションと展示構成が気になった。あまり私は鑑賞者に語りかけてくるタイプのキャプションが好きではない。読んでいて、内容よりも書いている人間の雰囲気みたいなのが先に浮かんでくるのが、どうしても気になる。キャプションはできるだけ客観的であってほしい。というか、キュレーターが書く時点で多分に主観的なものであるのは仕方ないのだけれど、客観的であろうという態度じゃないとなんとなくむずがゆい。

それと、今回の展示を見て感じたのは、全体的に雑誌(のキャプション)みたいだな、ということ。そう感じたのはその語り口と合わせて、展示構成というものがあまりなかったのが一つの原因ではないかと思う。なんとなく全部並列に並んでいる。それが雑誌っぽい。途中の通路の民芸品のコーナーも、これが氏の私物なのか部屋の再現なのかがあまり分からなくて、それがなんとなく「世界中の民芸品を集めていました」という説明とともに「フワっといい感じに」置いてある。展示物というよりは「民芸調のおしゃれなディスプレイ」という感じ。ディスプレイ化してしまうのは、たぶんそこに柚木氏の美術家としての息づかい、態度みたいなものがモノを通して見えてこないからだろうと思う。なんのために、どのようなものを選んでいたのか、その眼差しが重要なのに、それが示されない。民藝運動にも関わってきた人間なのに、年表などがなかったのも残念だった。銀座の無印の上でやってる展示の延長みたいな、美術館というよりは催事場のイメージ。だから「今見ると逆に新鮮な、粋でモダンな日本文化」みたいなものに回収されてしまっている感があった。あと、最近流行っている?展示壁が曲面になっているあれにもなんとなく違和感があった。かなりご高齢ではあるが、可能であればご存命のうちに集大成としての展覧会をどこかでやってほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?