『眠る、声』という名の自叙伝的なものを少しずつ書いている。 特に出版予定もないのだけれど。 いつか自費出版できればな、と。
気づいたときにはもう、わたしの中に“場面緘黙”がいた。 いつ、どのように、何のために、ここへ来たのか。 “場面緘黙”とは。 自分の意に反し、声を出せなくする厄介もの。 “緘動”という身体の自由を奪う厄介ものもいる。 この二つの厄介ものはわたしが二、三歳の頃からわたしの中に住み着いている。 宿主の許可も得ず、無許可のまま、我が物顔で。 よほど住み心地が良いのかいまだに出てゆく気配はない。 厄介ものなのに、ここまで一緒に生きてきたら妙な情すら湧いてしまう。 このま
ずっと無人島だと思って住んでいたのに、ある日突然、自分以外の人間に遭遇してしまい、動揺と戸惑いを隠せない。 例えるならば、そんな感じ。 わたしが初めて“場面緘黙”という言葉とその意味を知ったときの心情である────────。 三歳前後の記憶。 一歩家の外へ出ると、声が出ない人になる。 場合により身体の自由もきかなくなる。 その理由はわからないし、周りに同じ症状のある人もいない。 なんだか自分は変だな、という自覚は三歳前後、その当時からあった。 “場面緘黙”を知る