心の動的平衡
とある縁で、とある書店のフェアで、本書を知った。
最近、積読の量がヒドいので、少しでも1冊読み切ろうという思いから、ボリュームもそれほど多くなく、小説の本書に手をつけた。
『美しい距離』(文春文庫 2020年1月発行)
本書は、端的にいうと、妻の末期がんを宣告された夫視点で語られる夫婦の物語。
「あー、よくあるよねー。ドラマ化されやすい医療モノの物語ねー。」的なことで片付けられないのが本書のすごいところ。少なくとも、僕の脳には刺激的だった。
はじめはストーリーに入り込み、主人公である夫に自己投影しながら楽しんでいた。人名が出てこない。出てこなかったことが、より没入がしやすくさせてくれていたようにも思う。
そんな中、読み進めていると違和感が生れた。「ココ!」というピンポイントではなく、なんとなく、ぼんやりとしたような感覚。
少し前後しながら読み進めると、その違和感は、レンズの焦点が合うように、徐々にはっきりしてくる。そして変わる。仕舞いには、タイトルを見て鳥肌が立った。
夫と妻の距離の変化、患者本人・その家族と医療者の距離、妻視点の社会との距離の価値観の描かれかたに、ただただ、感動した。
涙した系の感動ではない。これが著者の意図するところかどうかはわからないけれども、作品における設定や選択された言葉が素晴らしかった。
「牛久の立像大仏って自由の女神よりデカいんだよねー、すごいよねー」という感想が、「いや、そこじゃねぇ!大仏の中にエレベーターあるのかよ!」くらいの衝撃を受けた。(たとえが、ヘタクソすぎるな…。)
コロナ禍以降、ソーシャルディスタンス(社会的距離)が取り沙汰されている。しかし、本来ひとりひとりの社会との距離は異なるはずであって、その距離感は保たれていいはずである。近づくことも、離れていくことも。自分の中の「美しい距離」はひとそれぞれなのだから。
そんな、「距離」が大切にされる今の世の中に、読まれるべき本の1つだろう。
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同じ距離感や間合いが心地よく感じるが、きっと、コミュニケーション系の距離も物理的に数値化や測定できれば、トラブルも減るのだろう、「ごめん、10メートルを1メールだと思ってた…。」なんて誤解は。
トウガラシを、スコビルという辛さの単位で表されることも、TVで見かけるようになったくらいだから、誰かが、提唱していたりするのだろうか?
でも、同時に情緒の欠片もなくなってしまうのだろう。見えないからこその良さ、いわゆる野暮というやつだ。要は使いどころなのだろう。