11日目

今日で一人暮らしを始めて1年経ちました。
それなりに家事をする力は着いたかもしれない、けど料理は一向にうまくならんね。
ただ完熟味玉の作り方は天才かもしれない。

そんな1年を経て何か成長したことがあるのか、といえばそんなことはなかった。
どちらかと言えば後退している気もする。というのも大学二回生の頃の自分があまりにも輝いていたところがあるから。
ある意味めんどくさかった人間関係を無くすことが出来たコロナ禍において、感受性豊かな人間が自然豊かな場所を訪れ数多の知見を得た、「美しさ」を追い求め続け悦びに溺れていた時期には、学ぶことの楽しみを心から感じていた。
何をしても成長している実感が得られたと思う。
そんな生活をして活き活きしていたからこそ、その頃に恋人と付き合えたのかもしれない。

その頃に比べて今は生産性のない日々を送っているかのような錯覚に陥ることが多々ある。
友人に連れられて浜松に行けば思う存分楽しむことが出来る、酒を飲めばはしゃげる、恋人とデートをして喜びを感じられる。
ただ一人の時間になった時に楽しいという感情が霧散してしまう。
そんな1年を送っていたように感じる。

と思っていたら、昨日記載した通りココ最近聴き始めたオーディブルからこんなフレーズが聞こえた。

「後悔のないように日々を生きよう」

なぜこのフレーズが気に留まったか。
それは自身が他人の誕生日を祝う時に「後悔のない自分の満足出来る1年を!」と言って祝うことがあるからである。
この言い回しを始めたのは、自分が幸せに生活できた高校卒業後の1年目。
浪人時代で周りが必死で勉強している中で得意な科目を遊びのごとく楽しんで勉強し、予備校一の成績を修めていた頃に、前年何から何まで後悔しかなかった生活をしていたからこそ伝え始めたフレーズ。

そしてそれを実現していたその浪人時代と2回生の頃は、日々を満足して過ごせていた。

つまるところ、後悔のなく満足のいく生活をしていた頃に自分は自分の人生比で良い時が迎えられていた。
そんな時の自分の捉え方はさながら流動体といったところかもしれない。
「確固たる自分を持つ」のと「人に合わせて上手く生きる」のは共存できないと少し前まで思っていたけれど、自分で共存可能の回答を既にしていた。

それが無意識のうちにできていたのが成長していた時であり、できなくなっていたのが退化していた時であった。

なら自分が今すべき姿勢は「流動体」であり、スライムになることなのしれない。イメージもうちょいドロっとしてるから、ドラクエに出てくるあんなほくそ笑んだ顔できるほど固体化してないけど。

ということで考え方は今後定めていくとして、今の自分がとるべきスタンスは流動体にします。変わるかもやけどね。ええと思った考え方にいつでもシフトする方がええやろし。

まぁ成長できなかった分はこっから成長していこ。
あとは毎日自分が後悔のない選択肢をしていこ。
話はそっからでも遅くないかもね。

それではばいちゃー

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