鹿島神宮に行った話

先日会社主導の同期が集まるイベントに集まった。
やはり同期という存在は、同じ会社という場で「仕事」という分野にて切磋琢磨していく存在であり、色々と刺激を受けることが多い。
そして今回集まったのは同期入社だけでなく、今年から入った新卒1年目の子達もいた。
彼らのやる気に溢れた姿というのは眩しいところが多い。
増してなお刺激を感じざるを得ないのである。

ただその刺激が必ずしもプラスに働く訳ではなく、不安や焦燥感も覚えてしまうところがある。
1年前の自分と比べて知識として成長した部分もあれば、気力・体力などの部分においては衰えてしまったところが少なからず否めない。
そんな考えを持ち、このままでは行けないが進むべきビジョンが明確でないことで余計に焦燥感に駆られてしまった私がここで思い立った。

鹿島神宮へ行こう。

そう心に決めたのが深夜3時。
そこから支度をし、7時10分東京駅発のバスに乗り込んだ。
2時間ほど揺られて茨城県は鹿嶋市、鹿島神宮駅に到着。
バスの揺れで睡魔を誘発されて、降車場が1つ先の終着駅となってしまったがそれも旅行の醍醐味。フラフラと歩いて駅から目的地まで向かった。

鹿島神宮駅前の案内看板

鹿嶋という土地には多少縁があり、私の恋人が高校3年間を過ごした地でもある。そういったこともあり大学四年生の頃はその恋人と一泊二日の旅行に来たこともある。
だがその時には鹿島神宮に寄ることはなかった。当時から古き良き日本文化を味わえる地を巡ることが好きな私だが、私の恋人は神社に興味は無く、デートにはあまり向かないこともわかっていたためだ。初鹿嶋は恋人の思い出の地巡りで楽しんだ。

そして二度目の鹿島にて初訪問の鹿島神宮は、東国三社(関東三大神社)の一つであり、仕事運という分野に限っては東日本一とも名高い神社だ。仕事についての悩みであれば持ってこいの場所とも言える。

まず結論を話そう。鹿島神宮は非常に良い場所であった。

朝9時半の鹿島神宮は比較的人が少なく、また森の中ということもあり既に強い陽射しを奮っていた光を優しく守っていたこともあって極めて涼しい参道であった。
対人熱、日向と日陰の約4度の温度差、フィトンチッド。諸々の条件下であったとしても、神社という場所はやはり科学では証明し難い「なにか」特別な力が働いていると感じる。それは特に格式の高い神社ではよく感じることだが、鹿島神宮も多分に洩れず当てはまっていた。

鹿島神宮正面入口
鹿島神宮内参道



そして参詣後にひく御籤にて、タイミングとしてはかなりベストな内容が書かれていた。
要約すると「チャレンジしろ、失敗はするけど諦めなければ成功に繋がる」。
ちょうど同期との話し合いの場で、多くのチャレンジをし、かなりの失敗とそこから成功を得た内容の話を聞いたばかりであった。
知らず知らずのうちに失敗に慄き、チャレンジしなくなったことで不安を感じていた私の心を読まれていた。
これであるから格式の高い神社に行くことはやめられない。自分の進むべき道を明確に示してくれるかのような答えを授けられるのであるからだ。

また御籤以外でも、観光地としてもオススメ出来る場所があった。
名を「御手洗」と呼ぶ池。湧水が作り出すこの池は透明度が高く、また優雅に鯉が泳ぐ姿が幻想的であった。

他には映画「すずめの戸締り」でダイジンというネコがモデルとなって出てきた、地震を抑える役割を持つと言われる「要石」も、鹿島神宮の中にある。

パッと見ではただの地中に埋まったスイカ並みの石であるが、そんなものが地中を泳ぐ鯰を沈め日本の土地を守っているという話に繋がるのであるから面白い。
またすずめの戸締り自体も私は好きな作品であるから(主に恋愛事情が)、より魅力的に移るのかもしれない。

また「鹿」島という地名もあり、敷地内には鹿を見る場所がある。
奈良市内のようないつでも鹿と触れ合える場でもなく、動物園のような距離を持って観察できるため、人間も鹿も互いに好意を抱けるベストな距離を保てる。鹿がどちらかと言うと好きだが獣臭は好きでない、という人にはもってこいの場所かもしれない。
子鹿の日向ぼっこをしている姿は癒されるところである。

透明度の高い池「御手洗」
手前の石が「要石」、日本の地震を抑えているという逸話がある。
鹿がのんびりとすごしている。

そんなこんなでこの場を好きになってしまった私は、御神刀というものを買った。
急な展開で頭の中に「?」を浮かべた人も少なくないであろう。だがしかし、私にとっては必然の結果である。
というのも家の中で神社を建立している私。
24歳の誕生日プレゼントで親友ズから石清水八幡宮の「御神弓」をされることもある。
要は厄除けのアイテムであり、神器である。

シンプルに捉えよう。神社には神器がいる。
ならば手に入れるべきである。
そしてそれは一つである必要は無い。いわゆる「なんぼあってもええですからね」。
まして前回は弓、そして今回は刀。神器であり武器である。欲しいに決まっているではないか。

そして売っていた御神刀とやらは「樫の木」製。
「かし」まという地名とかけているのであるが、そもそも樫の木というのは粘り気の強い気から「勇気と威厳」のシンボルでもある。
チャレンジしていく私にとっては心強い神器である。

また購入後に気がついたが包む布が良かった。
いかにもな「刀を包んでいる布」であり、見た目も良い。
どこかしらのお土産屋で修学旅行生向けに売る「木刀」とは違い、格式が目に見えて違うのである。
その分値も貼ったが、私の心強いサポートアイテムと考えれば安い。

気がつけば敷地内を休憩することなく2時間も歩き回っていた。
また来れば感動が薄れてしまうことが目に見える反面、紅葉と落葉の楽しめる11月中旬にまた足を運びたいとも感じた。

今度は電車やバスの時刻表に苦しめられることなく、他の神社にも向かうついでに足を運びたいものである。

御神刀と本殿

P.S.仕事頑張ります。限界までチャレンジ!

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