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#41 欲求をありのままに

友人の彼を求めている感覚。それを具体的に言うとどういうことか?とカウンセラーさんに聞かれたとき、すんなりとは答えられませんでした。誰にも話したことがないことなので、ここで少し整理してみようと思います。

「もし彼が『なんでもいいよ』と全てを叶えてくれるとしたら、どうしたい?」

カウンセラーさんから問われたとき、少し考えて、「言いたくないけど、とにかくずっと一緒に居てほしい」と答えました。それも嘘ではありません。とにかく居てほしい。

ただ、カウンセラーさんにも言えなかった部分として、「ずっと一緒に居て、ずっと抱きしめていてほしい」という「その先」が私のなかにはありました。

本当になんでも叶えてくれるのだとしたら…毎晩寝るときに横に居て、「おやすみ」と抱きしめていてほしいし、毎朝起きるときに横に居て、「おはよう」と抱きしめてほしい。

それぐらいのレベルで「ずっと一緒に居てほしい」のです。

とにかく私のそばに居て、私を見ていてほしい。

一般的にはこれを恋愛感情と呼ぶのかもしれません。でも「『好き』のような気持ちが高揚するような感じではなさそうだよね?」とカウンセラーさんに確認されたとき、迷いなく「高揚ではなく苦しみのほうです」と即答しました。

「一緒に居たい」ではなく、あくまで「一緒に居てほしい」という懇願なんです。「どうして居てくれないんだ」という反語が隠れている気さえします。

ただ、このゆがんだ状態で生きてきて、純粋な、恋焦がれるような経験がないから、「恋愛感情はゼロです」と言い切ることもまた難しい。だからなかなか人には話せないんです。30歳も目前の年齢でそれがわからないというのも、世間一般からは不思議がられることだと思うので。

性的欲求があるかどうかというのも、恋愛感情の判断基準になるかもしれませんが、私はそこもあやふやです。万が一彼が私を求めてくるようなことがあったとして、私はそれに応えるでしょう。なんなら、私が望んだ「ずっと一緒に居て」が叶ったときに、自身から求めるかもしれません。

じゃぁ恋愛感情でいいんじゃないの、となるかというとまたそうでもない。そうなるまでに何かしら彼に対して違和感や少しの不快感(たとえば、ぞんざいな扱いを受けるなど)があったとしても、それを抑えて、その先にある「もらえるもの」にすがってしまう。元恋人であったことを、また繰り返しそうな気がしています。

実際にそんな夢を見てしまっていて、自分に対して酷く嫌悪感を抱いています。一種のフラッシュバックでもありますね。

それほどまでに強い欲求なんです。

相手が元恋人とは違うから、同じ結果になるとも限らない。けれどもどうしてもダブってしまう。自分が壊れていく感覚が本当に怖い。

愛着形成不全で大人になった場合、こうして異性関係でもつまづくことが多いとよく聞きます。親子間で「愛情とはなんぞや」というやりとりを学習することなく、私の場合ははじめてきちんとお付き合いした相手が不健全なタイプで、「愛情とは」を歪な形で植え付けられてしまった。

それはどうしたって強く大きな衝撃で、何年経っても忘れることができません。私にとって「愛される」=元恋人が与えてくれたもの。それを常に求めてしまう自分が怖くて嫌悪していて、だから人と距離を縮めることを極端に避けているんだと思います。いつもの平気な自分で居さえすれば、どうしても求めてしまう自分をなかったことにできるから。

でもその孤独を選ぶことで生きてこられたものが、ついに通用しなくなってきている。新たにつくってきた友人たちとの場所があるから、家族と距離を置くことができているのに、その場所すら自分から手放そうとして、自分で自分を追い込んでいる。その苦しさに耐えられなくなってきている。

そろそろ認めないといけないんだと思います。私はひたすらに愛情に飢えていて、知らないからこそ歪な形でしか求めることができなくて、そんな自分が吐き気がするほど嫌いだけど、確かに存在していることを。


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