季語「山笑ふ」について

山笑ふ 三春・地理

傍題 笑ふ山

春の山の明るい感じをいう。◆北宋の画家郭熙かくきの『林泉高致』の一節「春山淡冶たんやにして笑ふが如し」に由来する。
褐色の産毛におおわれたような早春の山々の木々が、次第に潤みを帯び、春の日に照らされて山そのものが笑みを浮かべているようだという。峻険な山にこの感じはしないが、1000メートル程度までの低い山の姿はまさしくこんな印象。

故郷やどちらを見ても山笑ふ  正岡子規
山笑ふ聴けばきこゆる雨の音  千代田葛彦
安曇野あずみのの真中に立てば山笑ふ  藤田湘子
山笑ふうしろに富士の聳えつつ 島谷征良

比較として

春の山 三春・地理

傍題 春山 春嶺 弥生山 春山辺
雪が解け、木々が芽吹く春の山は生命感に満ちている。やさしく開放感のある、親しみのこもる山である。

絵巻物拡げゆく如春の山    星野立子
春山のどの道ゆくも濡れてをり 加藤三七子
鶏鳴の二度ほどあがる春の山  山本洋子
春嶺を重ねて四方といふ名あり 富安風生

「春の山」との比較から「山笑ふ」を考察

①「笑う」という擬人化表現
 →「春」の字が入る「春の山」と比べ、「笑う」という擬人化表現に重点があり、「春の山」と比較すると、映像が弱そう。

②「淡冶にして」の捉え方
「淡冶」は「あっさりしてなまめかしいさま」。わかりやすくいうと、春の山の色っぽいさまということになりそう。
春は、「獣交む」「鳥交る」「ひこばえ」「草青む」、動物や鳥が繁殖期を迎え、草木が芽生える季節であるから、山が繁殖期の動物のように色気づき、潤みを帯びることと解釈できるかもしれない。

③「1000メートル程度の山」という歳時記の記述
 標高1000メートル付近の山をいくつか例示する。
 970.0m 久鬼山
 980m 鳴神なるかみ
 990m 生藤しょうとう山  
     倉竹山
 996m 多良岳
 1000m 藻琴もこと
 1050m 大峯おおみね
     ミズヒノかしら
 1076m 経ヶ岳(佐賀県最高峰の山)
 1104m 妙義山
 1117m 桜島(北岳)
 1153m 身延山
 1200m 英彦山ひこさん(日本三彦山の一つ)
 1235m 白神岳(白神山地)
 1254m 知床岳
 1337m 阿蘇山(烏帽子岳)
 1390m 榛名富士
 1433m 阿蘇山(根子岳)
 1438m 箱根山
 1449m 榛名山
 1506m 阿蘇山(中岳)
などなど…
 もしかしたら「山笑ふ」には違和感がありそうな高い山
 十勝岳 2077m
 男体山 2483m
 妙高山 2454m  など
 
④「山笑ふ」の季語の使われ方
 上記に挙げた例句のほか、

筆取りてむかへば山の笑ひけり  蓼太

 のように「山」と「笑ふ」の間に助詞を入れる使い方や、

人形を負ふ子を負へり山笑ふ 吉川高詩
初孫はいとしき獣山笑ふ   増田耿子
山笑ふ新幹線になりたい子  高浜礼子
山笑ふ赤子の粥の煮こぼれて 宮崎君枝

 のように、子どもを句材とした句も多い。が、子どもを句材にした「山笑ふ」の句は安直になりやすい点も。

トーストに大盛りの餡山笑ふ 金子敦
魚によく酢のきく日なり山笑ふ 春庵
食卓に塩こぼしつつ山笑ふ  皆吉司
弁当のおかず見せ合ひ山笑ふ 及川永心
 
 など食べ物を題材にした句がある。

「淡冶」を捉えている句

鳥獣の恋を抱きて山笑ふ  藤原若菜
種付けの馬の嘶き山笑ふ  山田春生(※「種付け」は「獣交む」の傍題になっている)
犬の尾の千切れんばかり山笑ふ 石井美智子
白犀の尻尾ちよろちよろ山笑ふ 恒成久美子
峰峰をむらさきに山笑ひけり 緒方佳子
うすうすと色を重ねて山笑ふ 稲畑汀子
牛の尻たたいて獣医山笑ふ 高木篤子
風媒の花粉したたか山笑ふ 垣尾美智子
禽あまた抱へ里山笑ひけり 千田百里
潤む山笑ふ山まだ覚めぬ山 稲畑廣太郎
なまぬるき牛の鼻息山笑ふ 小林千草
豊満な土偶の胸や山笑ふ 大室恵美子

以上、例句をできるかぎり挙げて考察してみた。
「山笑ふ」は全体的に「ほっこりする、やさしく明るい、のどかな風景、ユーモア、おかしみのある風景」が取り合わせとして多い。ただそうなると「春の山」との違いはどこなのだろう? 他の季語でも成り立つのでは?と疑問に思う句も少なくない印象。「山笑ふ」「笑ふ山」だけで5音を使うため、残りの12音の使い方で差がつきそうだなと感じた。

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