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雑記:閉ざされた心の檻の中で #呑みながら書きました

 皆様ごきげんよう。いつもは、ひとをはでにぶっころす物語を書いたり、てっぽうについて日々考えたりなどしている、素浪汰 狩人と申します。

 この記事で初めてお目にかかる方は、以後どうぞお見知りおきを。常連の皆様には日頃からお世話になっております。皆様、閉塞感の漂う今日この頃ご健勝でいらっしゃいますでしょうか。私は正直あまり芳しくありません。具体的には、休業期間中にYOUTUBEの寝ながら見を常習してすっかり傷めた左肩の痛みが未だ完治せず、もう一週間ばかり悩まされ続けています(笑)

 変な態勢を体勢を常習的に取り続けるのは、どうにも良くないようです。皆様、寝違え、目の使い過ぎ、体調管理には皆様くれぐれもお気をつけて。

 機能昨日、久しぶりに珈琲店に行きましてて、大好きだったイエメン産の豆モカ・混たりマタリを買いました。やっぱりコーヒーはいいものですね。拘り始めると際限なくお金が溶けていくものですが、ここ暫く節約しきりでインスタントばかり飲んでいたものですから、本当のコーヒーの味を忘れて肝狂わんばかりのところ、真のモカ・マタリいを飲んで活力フルチャージ。

 また今日は仕事中、g銀行の信用金庫の駐車場でぐうy全、馴染みだった喫茶店のマスターと会いました。タバコの匂いを嗅いでふと懐かしい気分になりました。私がタバコを止めてもう数か月が経ちますが、まあ喫煙者にはいつでも簡単に戻れるので、私はもう暫く禁煙車でいることとしましょう。

 ひち人の縁というのも様々ございますが、忘れかけてイア用で、自分では断ち切れたかと思っていたようで、思わぬところでまた繋がったり、数奇な巡り合わせというものがあるようです。人の数だけ出会いがあり、また人の数だけ様々な酒との巡り合わせもあるものですね(ちょっと強引かな?)

 というわけで本日のお酒、私の大好きなアイラモルト『アードベッグ』の5年物『ウィー・ビースティ』です。度数47.4%、無冷却濾過ノンチルフィルタードウェイスキー。

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 善きお酒には、ただ味が旨いという効果のみならず、人の心に寄り添って包み込み、普段は閉じた心の蓋をそっと開かせてくれる力がある物です。

 今宵の話は正しく、酒でも飲まなければやってられない、普段の私ならば目を背けていたい自分の心の奥底を掘り下げてみようということで、お酒の力を借りることに決めました。これが本日の私の #呑みながら書きました

 ご興味ある方は、これから暫しの間、お付き合いだ下さればと存じます。

 本題に入る前に一言だけ。生まれて初めて、『募金しました』。それも、明確に自分の意思で。『どこかの大使館』に……とだけ言っておきます。

 この話はこれで終わり。さっさと本題に入りましょう。


 といったところで……さて、どこから話したものでしょう。それにしてもアードベッグは美味しいですね。10年物のアードベッグは私が世界一好きな酒ではございますが、半分ほどの若さの5年物と言えど、ブレンディングの妙味が織りなす業ですか、軽やかで若々しくスパイシーなアルコールの中に泥炭のクレオソート臭であったり、ヨード臭が持つ海の磯臭さであったり、そういうアイラモルトらしさが感じられて、これはこれで美味なものです。

 これでも1本の値段が4,780円、今では5,000円を超えてしまっているので、ウィスキーとは庶民の手……いや喉に届かない高根の花になったものです。

 飲んだら無くなってしまうので勿体ないのですが、このクラスになったらそれはもう美味しいので、ニート(ストレートのこと)でもぐいぐいイケてお酒が減る減る……ウィスキーこわい、ウィスキーこわい……(真似厳禁)

 近頃飲んでいる心に効くお薬、いや心と言っても心臓ではありませんよ、それはあくまで比喩の話で、実際には頭に効く薬です。それはアルコールの併用が禁忌でして、特に薬を飲んでから1時間以内にお酒を飲んだら効果が強くなり過ぎてイケないんだと。こういうの相乗効果って言うんですかね。ともかくお酒は飲みたいけど、薬が優先だからお酒は後回しで我慢しなきゃいけないわけだ。心や頭は物と違って、悪くなったからってスペアパーツに乗せ換えたり、溶接したりして治すわけにもいきませんからね。医者の話はちゃんと聞くものだ。って、時々やらかしてるのはここだけの秘密ですが。

 えーと、何の話でしたっけ?(健忘症)


 そう、心ですね。フランス本土から見たモン・サン・ミシェルぐらいには浮世離れした、世間と砂州一本で繋がる程度しか他人と交流しない閉鎖的な心を持つ孤立主義者の私でも、人並みに人を愛することはあるものです。

 とはいえ、そんな人間がうまく愛を実らせることなどできるはずもなく。

 そう、今日の議題は『愛』、人と人との色濃い『色恋』です。私が世界で最も苦手としているものですね。決して色恋に限った話じゃございませんが思い起こせば幼い頃から、他人と碌な関係性を結べてこなかったこの私。

 こんな私も、決して自慢じゃございませんが、愛してくれたかもしれない人たち……そう今となってはkのう可能性の話です。そんな女の子の顔が、思い起こせば一人二人と思い浮かびます。けれどその時の私は、いつだって他に憧れを抱いた女の子を見ているばかりで、すぐ側にあったかもしれない可能性、有り得たかも知れない愛を抱き締めることはできませんでした。

 できないという言い方は、誠実じゃないですね。しなかったんです。

 私が憧れていた人も、私はどうにも思いを伝えられなかったり、伝えてもいい返事をもらえなかったり。考えてみれば当たり前です。その時分の私は憧れの人に嫌われることを恐れて、何一つとしてその人の喜ぶようなことをしなかった、してあげられなかった、積極的に関わらなかったのですから。

 その程度の気合で何が愛だ、恋愛を舐めるなとお叱りを受けそうですね。その指摘は至極当然なものではありますが、しかし妙なものですね、意中の人のことで頭が一杯になっている時は、いつか私を振り向いてくれないか、いつか振り向いてくれるだろう、不思議とそんなことを考えたものです。

 今となっては傲慢な考えですね。お前それは積極的に前に出てかないから目に入ってないだけだろう、彼女の心にひっかかりもしてないだけだろうと分かるのですが、片想いで心が一杯になっている時は、彼女の視線が自分を見てない時でさえ、自分のいいように思いを捻じ曲げて解釈するものです。

 こういう人の心が分からない人間ほど、大人になって、何か勘違いしたり些細な行き違いで人と諍いを起こしたりして、事件を起こすんでしょうね。

 ご安心ください。私は幸い『まだ』そこまで拗らせはいません。gリギリ商機は保っているつもりです。20年後30年後の保障までは出来かねますが。

 人の心が分からないというのは、人との惚れた張ったにあh致命的です。

 すぐ側にある愛と、遥か遠くに見て憧れる愛。その二つはどうにもうまくむすいついて成就する気配もなく、わたすいは正直、怒りすら感じました。

 そうあyって人生を『しくじり』続けて気が付いたらもう三十路、私にはまだ恋人一人おりません。周囲では恋人、結婚、出産そして家族。気の早い人はもう離婚したり……あんまり人のことを悪く言うのア止めましょうね。

 ともかく、私ももっと身近な人の愛に応え、身近な縁を大事にしておけば良かったなと、今更ながら深い後悔と慚愧の年にかられはしますが、そんな感情が今更なんになるでしょう。時が経ち十数年、彼女たち今頃、私の顔も声も姿も面影すらも忘れ去り、各々が相応しい伴侶と結ばれ、幸せな家庭を作って、彼女らに相応しい人生を過ごしているでしょう。私も今となっては遠くから彼女たちの幸せを願うばかりです。彼女たちは幸せっでしょうか。

 だからこれは、ふがいあん不甲斐ない男が世を忍び、人知れず酒に任せた一人泣き、やせっぽちな痩せ我慢、負け犬の遠吠えのようなものなのです。

 世の中には珍しくない、そこらにいくらでも転がっている犬の糞のような話なのです。聞いてる貴方は、運悪く出くわして踏んづけただけなのです。


 例えば、人恋しさで心惹かれ、倫理(規範、と言い換えてもよいです)と我欲の間に立たされた時、皆様はどちらを選ばれるでしょうか。

 人の心が分からない私にも、時々これはと思うような、心惹かれるような女性と出くわすことがあるわけでsう。そえrが同じ会社に勤める同僚ならばなお大変です。他部署だろうと何らか顔を合わせる機会があるのですから。

 私は所属部門の立場上、一般の社員なら見られない書類を目にする機会もありまして、正直『こんな人』がどうして、場末の掃き溜めみたいな我らが会社に入ってきたのか理解でき兄、そういう経歴を持つ人だったというのが彼女の第一印象です。お年の方は多少召してらして、写真で見ても正直な話ああそうかと普通な感じだったですが、顔を合わせると違った印象でした。

 その人を一言で言い表せば『ミステリアス』ですね。とにかく会社の中で自分のことを語らない。私上司など女性でして、世間一般で言えばご立派なお局とでも言われる立場の人ですから、何かこう上手いコミュ力で接近してどうにか話を聞き出そうとするわけですが、その上司が嬉々として私に語る話を聞いても、どうにも上っ面をかすりとるような情報しか出てこない。

 いやまあ、女と女の秘密ということで、単に男の私に話さない何がしかの話もあるだけなのでしょうが、元来女性というのは話好きであり、信頼する者には『ここだけの話』と言って人から『盗んだ』秘密をべらべら節操なくくっちゃべる生き物と認知しておりますので(ちなみに私は、よく他人からその手の話を『くっちゃべられる』タイプの人間です)、そこで突っ込んだ話が出てこないのは、本人が喋ろうとしないのかなと想像する次第でして。

 ああ、女性の方々はどうか石を投げないで。私は決して人から見聞きした秘密に尾鰭を付けて人に吹聴するような、軽薄な男ではございませんゆえ。

 話が全然前に進みませんね。ともかくこれは私だけに特有な性ではないと固く信じておりますが、人に秘密があると思うと、却って知りたくなるのが人の性でしょう。だからといって直接本人に効ける根性はないわけですが。

 まともな男であったら、ここでさっさとアプローチするなり、隙がないと見切りをつけて他のご婦人に目移りするなりするわけですが、残念なことに私は到底まともな男とは言えない人間ですので、ここで例の厄介な片思いが頭をもたげてくるわけです。実際その感情が『好き』なのだと気づいたのはいつかと問われると、とんと見当もつかないわけですが、ともかくその人の普段の立ち振る舞いや、儚げな佇まいや、言葉少なに黙々と仕事を処理する真面目な姿を見ているうちに、この人は信用できるなと思ったわけです。

 信用というのは私の中で重要なファクターです。私のことを好いてくれる女性であっても、あwたしが信用できないtお思ったら恋は成立しません。

 これは洒落でも冗談でもなく、本当の話です。実を言うと、今でも彼女の他にもう一人、彼女より数か月早く入社した、彼女より一回りお若い女性が私に好意を抱いているのかもしれないと、周囲から伝え聞いた様々の状況を統合して判断する限り、そう思われる状況なのです。ですが私も例の厄介な気質で、その女性の普段の立ち振る舞いだの何だのをよくよく観察したり、普段の世間話(好意を持っていない人間とは全く普通に喋れます)を交わし判断したりするうち、『この人とはちょっと合わないな、この人はちょっと信用できないな』と値踏みして、自分の外側の存在に位置づけたのですね。

 ここら辺、実にモテない男の典型ムーブですね。自分が選ばれる側でなく選ぶ側だと勘違いしている。分かってはいるがどうしようもないのです。

 まあその女の子の悪印象で一つあるのが、恐らくは本人の所為ではなくて他人のお節介なのでしょうが、『自分から好意を見せるのでなく、他人から〇〇さんアンタが好きみたいよと言われる』これが私は気に食わなかった。

 気に食わなかったというと随分強い言葉の調子ですが、私は正直に言ってこれぐらい腹に据えかねたところはありますね。元より私は他人のことなど信用しておりませんので、又聞きで好意を伝えられようものなら、何じゃいそれは! そんなモン直接言え! と反発心を持ってしまうんですね。

 思うにこれは悪い巡り合わせでした。これが仮に、私が好意を持った方の女性であれば、あの人私のことを……ポッ♡(昭和)とかなるのでしょうが、残念ながら日頃の印象が悪い人だと、あーそうですかいとなってしまジュ。

 随分んと傲慢なことを言いましたが、一方好きな女性にアプローチすらもままらなない腰抜け男こと私は、一念発起して食事に誘ったわけです。

 さすがにいきなり『好きです!』が通用しないことぐらいは、これまでの人生で私も学習しているわけでして。だからこそ、この前にお慕いしていたある喫茶店の女給さんには、結局一言たりとも好意を伝えることはおろか、世間話の一つもできなかったわけですが。まあその失敗談はまた別の話。

 誘った結果は、あえなく撃沈ですね。「他に好きな人がいるんです」と。まあここで、色恋に慣れている殿方でしたら、もう少しばかりあれやこれや食い下がるのかもしれませんが、私はすっかり弱り目に祟り目、勘違いして自爆したと頭を下げて敗北宣言の平謝り。惨めに逃げ帰ってしまいました。

 今になって冷静に思えば、その年になって「好きな人」という言い回しもどうなんだと、その背景にあるものを色々想像するものでありますが、私の属する会社というか業界というのは、古今東西ワケアリな方が集まってくる独特な世界であることは感知しておりましたし、縁もゆかりもない遠方から『恋人を追って』我が社にやって来たご婦人の例もも実際ありましたので、私としても『何らかの察するべき事情』の気配を嗅ぎつけ、現在に至るまで彼女にそれを問い質すような真似はしておりません。いや出来ないのです。

 何せ、好きな女性に碌にアプローチも出来ない腰抜け男です駆らんえ。

 本当に好きになってしまったご婦人は、遠ざけて大事に眺めていたいのが性分なのです。いえね、本音を言えばそれは、同じ場所同じ時間を共有して愛し合える方がいいに決まっています。ですが私は、もうここまで読まれた皆様なら既にご存じの通り、大変性格が捻じ曲がり拗らせておりますので、まともに顔を突き合わせて喋ろうものなら、何かの拍子にうっかり失言して傷つけてしまうであろうことは、これはもう自明の理なのですね。

 私は確かに、他人から傷つけられるのを恐れる惨めな男。しかし、自分が傷つけられる以上に、自分が愛する者を傷つけることが恐ろしいのです。

 まあいずれにせよ好かれる方にしては回りくどくて身勝手な話ですね。

 かくのごとくで、私と彼女との距離感は縮まるでもなく、離れるでもなくこれまで通り……いやそう思ってるのは私だけで、ひょっとすると彼女には既に女の敵認定されている可能性は否定できませんが。現段階では周囲から私がそのように見られているという噂話は聞こえておりません。噂話すらも私の耳に届いていない可能性もありますがね。とかくその女性は良いことも悪いことも、必要以上に話そうとせず、必要以上に他人と関わろうとしない性分がゆえに、全く反応が伝わらないというか、心が読めないんですね。

 はい、モテない男ムーブその2。必要以上に相手の心を読んで、不快感を与える前に先回りして問題を潰そうとする。その想像力は仕事の場であればポジティブな方向に働く場合が多いのですが、色恋の場では勝手な想像から好意を勘違いしてしまう、典型的なモテないムーブの源泉になるのですね。

 思い出すだけで恥ずかしい。

 真偽はともかく、接触を拒否されてしまったものは仕方が無いのですが、私も一旦抱いた好意がスイッチを切るように掻き消せるわけでもないので、心の好意に蓋をして平気な顔をして日常を送り、そして今に至るワケです。

 でもね、どうにも悩ましいことがある。それは『声』ですね。私が彼女に好意を抱いた要素の一つとして、ハスキーな低い声というのがありまして。一般の人なら『おばさんくさい』と感じるかも知れませんが、私にとってはそれぐらいの帯域が大好きでして。何よりツラいのは、本人も声の低いのを自覚しているのでしょう、抑え気味に話してみたり、ちょっとキーを上げてみたりと色々試行錯誤してる姿の一つ一つに、心の中で深く頷いてみたり。

 許されるなら、本人の目の前で『貴女の声の良さについて』褒めちぎってあげたいくらいですよ。きっと本人は嫌がるに違いありませんがね。

 いやー、キツい。ツラいです。どんなに我慢しようと、仕事の上で必要な会話というのは発生しますし、こと内線電話になりますと、電話なので当然否が応でも音が私の耳に飛び込んで来るんですね。私の好きな帯域の音が。

『音は意味をバイパスする』とは、故・伊藤計劃氏の小説「虐殺器官」にて提示されたセンテンスではございますが、正にそれをフィクションと一笑に付せない真実味を携え、その声が私の鼓膜を好意に震わせるワケです。

 私に出来ることはありません。成す術なく心臓を震わせ、脳髄を搔き乱す行為に服従しつつ、喉元まで出かける行為を棺桶に閉じ込めて心の深淵へと投げ捨て、表面上の声と顔は平静を保ちいつものように応対するだけです。

 自慢じゃないですが、自分の心に嘘をつくというか、正確に表現するなら自分の心をマスキングして見ないフリすることは、私は上手いですからね。昔からそういう訓練をしないと精神を保てないような環境に居ましたので。

 酒が足りません。もっと飲みましょう。もう3ショット目かな。それとも4ショット目? お酒は身体に悪いですか? いやいや美酒は例外ですよ。

『貴女はただすれ違うだけの人。出逢って別れやがて忘れ去ってしまう人』

 そう自分に言い聞かせて、心の奥底で痛みに咽ぶ自分自身から目を背けて私はどうにか今までやり過ごしてきました。彼女にもし、将来を誓い合った相手が本当に居るなら、それを略奪する行為は許されないものであります。

 いや、もっとも、略奪できるほど私に男の魅力があればのことですが。

 色恋の許されない関係というのは、創作物の世界ならば使い古され過ぎて手垢で黄色く汚れるほどに良くある話ですが。ここで、自分の欲望に忠実な男であれば、何とか彼女の心を射止めようと趣向を凝らし、ことによっては略奪愛を得てしまうのかもしれませんが、私はそういう意地汚いことをして好意が欲しいとは思いません。どうにも男らしくなくて吐き気がします。

 男らしさを持ち出すのは誠実じゃないですね。自分が愛されるに足る男と自信を持っていないから、どうせ駄目だとアプローチを諦めているのです。

 それでも他方で、私は予防線を張るように、行為を私に抱いているらしき別の女性に、近頃は少しずつアプローチしてみるかと試みてはおりますが、こちらも上手くは行きませんね。どうにも相手から『好き』と言わせようと回りくどいやり方をしているのがダメです。男ならビシッと、お前が好きだ俺について来いと引っ張れ! と言われる向きもあるかも知れませんけど、私のような湿っぽい男にそんな溌溂さを求めるなど土台、無理があります。

 別に自分の思うように引きずり回したいワケじゃないのです。思い通りに操縦したいワケじゃないのです。そんな関係、私の身近な人たちを見ていてお腹一杯なのです。私の好きなように変わってほしいとは思いません。

 私はただ、お互いを信頼し尊敬し合えるような人に寄り添って、安心して心の内を曝け出したり愛を囁いたり、抱き締めたり眠ったり、そんな普通の人であれば当たり前に手に入れている最低限の幸せが欲しいだけなのです。

 でも、私が信じるそういう愛はひょっとすると幻想なのかもしれません。

 恋に恋するお年頃、高校生で卒業すべき子供だましなのかもしれません。

 恥ずかしながら私はまだ、本当の恋などしていないから分かりませんが。

 前に、人を好きになるのは素晴らしことだと言われたことがあります。

 ですが、人を好きになるのは私に言わせれば苦しいだけです。

 有り余る苦痛です。

 こちらの好意を分かった上で、都合よく使われていると分かっていても、それでも視線を合わせて、言葉を交わしている瞬間は幸福に満ちています。

 正体の無い偽りの、私がそう思い込みたい偶像の幸福に。

 私が知らない所で彼女は、彼女を愛する伴侶と共にいるでしょう。二人で居る時しか決して話さないようなことを話し、愛を交わし合うのでしょう。世間の多くの人間が当たり前にやっているように。私はそれを分かった上で何もできることはありません。将来、そのような関係を築けるような相手と巡り合えるかも分かりませんし、そもそも自分に愛を得る価値があるのかも甚だ疑問に思っています。私はずっと孤独に生き孤独に死ぬのではないかと確信に近い思いがあります。私にとって愛は掴み所の無い幻想です。

 沖縄のバーで語り合ったマスターと、東恩納盛男さんを私に教えてくれた名も知らぬ常連客と交わした会話が思い出されます。好きな相手というのは自信が無くても、意地で思いを遂げるものだと。私がそんな話を聞いてからはや2年が経ちましょうか。私は未だ変われずにいます。その時に、バーの酒棚の片隅に眠っていたのを見つけ出したコニャック、テセロン・LOT29の最後の1ショットの味が思い出されます。蕩けるような甘い味でした。

 愛しているけれど愛を貰えない人と、愛していないけれど愛を貰える人、私はどちらを選ぶべきなのでしょう。愛を貰える人を愛することができればこれほど素晴らしいことはないのですが、そういう風に心変わりできるほど私は大人ではありません。心の芯はまだ失われた恋心に咽び続けています。

 現実世界で当たり前に生きて、当たり前に恋をするには、私は少しばかり他人に遠慮し過ぎ、自分のことばかり考え過ぎ、ロマンチスト過ぎました。

 分かっていても今更どうすることもできません。

 だから精々、アルコール度数47.4%の優しい悪魔を呑んで心を癒します。

 お前の信じる愛はこの世のどこにも芯材存在しないんだよ。

 悲しいね。でも、それが結局、この世の心理なんだよ。

 それを克服できる人だけが他者と分かり敢えて、それを乗り越えられない弱虫は一生孤独に生きていくんだよ。何が分かり合いだクソッタレ。

 世間の残酷さの刃の鋭さを心に慣らせるには、もう少し時間が必要です。

 ああそれでも、悲しいほどに性懲りもなく、お慕い申し上げております。

 私は閉ざされた心の無間地獄の中で、全身を貫かれるような苦痛を味わい貴方に恋心を寄せ続ける密やかな恋心をひた隠し、身を焦がし続けます。

 この気持ちが本願を遂げることはきっとないのでしょう。

 みんなそうやって大人になっていく。

 愛を理解するには、私はまだまだ子供過ぎます。

 呪いの言葉を連ねていたらこんなに文字数が膨らんでしまいました。

 まだ酔い足りませんが、そろそろ〆ましょう。さようなら。



【雑記:閉ざされた心の檻の中で #呑みながら書きました

From: slaughtercult
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