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ショート・ショート

相変わらず、薬にも毒にもならない記事を書いてます。

医療従事者の前で言ってみろ!

ネットでコロナウイルスに関する記事を見ていたら、下記のような記事(一部)が掲載してありました。

テレビでは「感染者の拡大止まらず」というが、それに伴って「大バカ者の拡大止まらず」で、日々、バカが続々出現しているのには笑わせられる。とくにわたしの印象では、40~50代のおやじにバカが多い。男らしいだろというように「感染したらあとは死ぬだけよ」とドヤ顔のおやじ。感染したらもう死ぬと思っているのである。バカでしょ。

そんなオヤジはどうぞ、死んでください。と言いたい気持ちですが、ようやく政府が重い腰を上げ、GoToをストップしたにも関わらず、渋谷、新宿などの繁華街の人出は逆に増加傾向。これってどういう事でしょ?

飲食店は時間短縮営業に応じる体力はもう無くなっている、それに伴って人は街へ繰り出す、そして菅総理の8人会食の影響で、総理がやってるんだから自分たちもやってもいいんだ。と勘違いする人、そして開き直る人。
そんな街行く人の中には、現在の状況を微塵も気にするそぶりなどなく、「コロナなんて関係ない!平気平気!」と笑いながらTVのインタビューに答える若い女性も少なくありません。
あなたのその自信、平気だと言える根拠はなんでしょう?インタビューする側も、そこのところまで突っ込んで聞いてくれると私にもわかるのですけど。
感染しても若いから無症状。若いから症状が出ても軽くて済む。ひょっとして感染しない?たぶんそんなところでしょうが、自分が感染した場合の事は考えているが、他人へ感染させる事は考えていないのでしょうか?本当にそう思っているのだとしたら恐ろしいことです。さらにそんな考えの人が大勢存在したら・・・冒頭のオヤジと同じで、テメェが感染して死ぬことになろうが知ったこっちゃねぇ、でも、他人に感染させる恐れがあるんだぞ

感染することによって、医療従事者をはじめ、大勢の人たちの手を煩わすことになります。そこんところをどう考えているのでしょうか?

「多くの看護師は、辛い、しんどい、苦しい、と口にする事なく頑張っています。そんな彼女(彼ら)に辛いけど頑張ってね・・・と声を掛けると、我慢していた思いが一気にあふれ出るのか、ボロボロと涙をこぼすのです。」
TVのインタビューに答えていた看護師長の言葉です。私はその言葉を聴いてたまらない気持ちになりました。同時にヘラヘラと「コロナなんて平気!」なんてカメラの前で軽はずみに言える人間に憤りを感じます。

第一線で頑張ってくれてる医療従事者の前で、「コロナなんて平気!」と言ってみろ!と言ってやりたいです。


アドレナリンって、出てるのわかるの?

アスリートが、アドレナリンが出まくってます!とよく言いますが、アドレナリンて出てるのがわかるのでしょうか?

アドレナリンは交感神経という自律神経を刺激するホルモンです。ホルモンが分泌された瞬間を、まるで唾液や涙、鼻水が出るような感じで、「あ、今ホルモンが出ている」と感覚的に実感できる人は誰もいません。

大抵のサイトにはそう書いてあります。ですから、アドレナリンが出てる!と言うのは間違いですね。

アドレナリンが分泌されることによって起こる症状、心拍の変化や、興奮、緊張感、瞳孔の開きなど、それらを感じる事を感じる表現として、アドレナリンが出てる、と言っているわけですね。

ですから、例えば優勝したアスリートがインタビューに応じる時、アドレナリンが出たみたいで、普段より特別な力が出ました。または、普段より力が出たのは、アドレナリンが出たのが原因ではないかと思います。と言うのが適切だと思います。細かいことが気になってすみません。


崖の上の住宅

近所に崖の上に建つ住宅があります。
崖の高さ約15メートル、勾配は60度ほどです。高さが高さだけに、擁壁など造ることはできず、法面を転圧しただけです。その崖のてっぺんから5~6メートルほど離れて住宅が建っています。
元々は崖のてっぺんまではもっと距離があったのですが、崖は隣地の所有で、削られてしまったようです。
崖地に建物を建てる場合、県の条例で、崖の高さの2倍以上離す必要があります。ですから、崖の下から水平距離30メートル以上離す必要があるのですが、削られてしまっては仕方ありません。

しかし、その崖の上に、今度は娘さん夫婦の住宅が建設されているのです。
崖のてっぺんからは3メートル程度の離れでしょうか?
確認申請が下りたことも不思議ですが、危険な崖の上に大事な娘さんの家を建てることは私には不思議です。
土地代がかからないように、「親の土地に建てさせて」と娘に頼まれても、私なら絶対に建てさせませんね。いくら丈夫に崖を転圧しても、安全と言うことはできません。大きな地震でも発生し、崖の内部に亀裂でも入り、雨水が浸入でもしたら・・・・考えると恐ろしいです。恐怖と隣り合わせで生活するなんて、私は絶対にイヤですね。


息子の結婚相手に悩む父親

「本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としては、それを尊重するべき」
秋篠宮殿下が記者会見でそう述べられてすぐのことでした。
現場で知り合いの設備屋の社長と久しぶりに会いました。
雑談しているうちに、彼は吐き出すように息子の結婚相手のことで悩んでいることを話し始めました。

彼の一番の悩みは、相手の女性が7歳年上で、子連れであることです。息子は30歳になったばかりで初婚、将来は設備業を継ぐ後継者であり、将来は社長です。
「うちのせがれ、年増の女に入れ込んで困っているんですよ。」
そういう自分も4歳年上の姉さん女房。話を聞いてる私の妻も2歳年上です。

「昔から姉さん年上の女は金(かね)のわらじを履いて探せ、と言うからいいんじゃないですか?と言いたいところだけど、7つも年上だとちょっと抵抗はあるよねぇ・・・」
私は自身の経験からそう答えました。
その理由はですね、

その1、若いうちは良いけど、50歳を過ぎる頃になると、見た目が親子のように見えてくること。若い時は廻りの若い女性に目移りする可能性がある。

その2、どうしても女性の方が早く更年期が来るので、その時の精神状態や症状を年下の夫が理解できるか?

その3、女より男の方が肉体的に弱いので、高齢になってから年上の女性からフォローしてもらえるか?

女房と畳は新しい方が良い、これも昔から言われています。今こんな事言おうものならセクハラだ!人権侵害だ!と言われそうですが、ある意味的を射ていると思います。

私も若い頃は年上の女性に憧れ、それが友達などには自慢でもあったわけですが、今思うと・・・いえいえ決して後悔などはしてません。そんな事言っては妻に失礼ですし、可愛そうですから。
でも、社長が悩む気持ちは大いに理解でき、共感できます。


自宅を売って1000万円で「美しい農村」に引っ越し、夫婦は崩壊した

『週刊現代』2020年2月22・29日号より

長年都会に住み続け、老後に終の棲家として田舎に移住する人が増えているようですが、同時に田舎に移住して失敗した、後悔した、夫婦仲が悪くなり、あげくには離婚にまで至った、という人も増えているようです。

一見する田舎暮らしは金も掛からず、のんびりと、ストレスなく暮らせそうな気がしますが、そんなに田舎暮らしは甘いものではない、と言う記事です。

私自身もそうです。と言っても、元々宮崎の田舎住まいですが、家を建てる時は、街中よりも田園風景の広がる場所が良いなぁ、と思っていて、田園ではないけど、畑地の広がる場所に土地と家を求めました。そこが現在の住居ですが、廻りに家が無いから静かだと思っていたら・・・

冬はそうでもないのですが、夏は朝暗いうちから、あちこちで畑の草を刈る草刈機の音で目が覚めます。
日中はトラクターや耕運機の行き交う音。堆肥の匂い。以前犬を飼っていた時は、檻から脱走した犬が、堆肥まみれで帰ってきたことがありました。
そして夏場は飼料用に植えてあるとうもろこしの草息と、田んぼなら涼しいのですが、休耕畑地を渡って吹いてくる熱風と誇りに悩まされます。
記事にもあったように、御近所からの野菜の差し入れもあります。商品として売り物にならない野菜を大量に頂きます。どうせ廃棄処分なので見返りは期待せず下さるのでしょうが、頻度は少なくないので貰う側も気を使います。
人間付き合いに関して言えば、都会も田舎も同じだと思います。地域に馴染もう。その気持ちが無ければどこに住んでも人間関係で悩むことになると思います。

最近は一人キャンプ、家族や知り合いだけのキャンプが好まれ、他の人が来ないように山まで買ってしまう人がいるようです。
都会の人が山を買って管理などできるのでしょうか?

終の棲家を田舎で暮らすのは良いですが、それなりの覚悟が必要です。特に歳をとると病院は近い方が良いです。消防署(救急車)は近い方が良いです。コンビニやスーパーは近い方が良いです。道は高低さがなくて舗装されてる方が良いです。デイサービス、社会福祉関係の施設は近い方が良いです。
タクシーを使うと交通費が嵩みます。電車やバスの数は多い方が良いです。
田舎は不便です、覚悟して移住しましょう。


同窓会

今年はさすがに同窓会はやらないだろう・・そんな安心感があります。(笑)

もちろん案内が来ても行きませんけどね。
一昨年の年末の同窓会には行きました。その年の夏には、年末の同窓会の予行演習と言うか、プレ同窓会的なこともやっていたのです。
年末の本番に備えての予行演習同窓会。アホですね。
同窓会の予行演習なんて聞いたことありません。

さらに昨年の夏、そして年末と半年おきに同窓会を開いているのです。
私は同窓会なんて無くて良い。やっても10年に1度、いや、20~30年1度で良いと思っています。ですから、昨年の夏も冬も無視して行ってません。

昨年の秋でしたか、同窓会の幹事をやってる奴にコンビニで遇いました。
「あのよー、何で同窓会を半年ごとにやるんだ?毎年でも多いのに、半年でやる意味を教えてくれ?」
返って来た答えはこうです。
「だって酒を飲みたいじゃん!」
「・・・・・・・・・・・・・」

酒を飲みたいから同窓会を開く。アホです。
飲みたけりゃ一人で飲め!仲良し同士だけで飲め!飲みたくない人間を巻き込まないで欲しいものです。

同窓会の案内以外、普段でも、
「今どこどこで飲んでる、お前はどこに居るの?」
「今だれだれと一緒、画像UPしましたー!」
「後で合流しようか!・・・盛り上がろうぜ!」

こんな50過ぎのオッサンたちのアホな会話も、しょっちゅうLINEではいって来るので、LINEはアンインストールしました。同級生とは決別です。
でも、全員とではありません。今日も現場調査に行くのに応援員として同級生のK君に電話をしました。
用件の済んだ後、同窓会の件を聞いてみたのですが・・・
「いや、俺のところにも案内は来てないよ。さすがに今年はコロナで中止だろ?まあ、案内が来ても行かないけどね。」


ファド/カティア・ゲレイロ

ファド(ポルトガル語)とは

ポルトガルに生まれた民族歌謡。ファドとは運命、または宿命を意味し、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しい。1820年代に生まれ、19世紀中ごろにリスボンのマリア・セヴェーラ(英語版)の歌によって現在の地位を得た。
イタリアにカンツォーネ、フランスにシャンソン、アルゼンチンにタンゴ、ブラジルにサンバがあるように、ポルトガルにはファドがある。主に「Casa de Fado」と呼ばれる(または「Casa do Fado」)レストランなどで歌われる大衆歌謡で、主にポルトガルギター(ギターラ)と現地ではヴィオラと呼ばれるクラシック・ギター(スチール弦使用)、(時には低音ギター(ヴィオラ・バイショ)が加わる場合もある)で伴奏される。
ウィキペディアより

ファドは疲れた肉体と精神を癒してくれます。
明るいメジャーな曲も多いですが、哀愁おびたメロディー、艶やかで伸びのある美しい歌声は私の心の琴線を刺激し、ファドの世界へ誘いてくれます。

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