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しばられ地蔵

こんにちは。

今回は〝しばられ地蔵〟で有名な南蔵院です。

正式名称は「業平山東泉寺南蔵院」といいます。

伊勢物語で登場する在原業平が東下りの際、隅田川で舟遊びをした時、船が転覆して多くの人が亡くなってしまいました。
業平はその人々を弔い、像を刻み村人に与え、法華経を写経して塚に納めました(業平塚)。
その傍らに南蔵院が創建されました。そこには橋がかけ渡され、業平橋と名付けられました。
貞和4年(1348)林能法師により開創されました。
(南蔵院ホームページより抜粋拝借)

とても清々と広々とした境内です。

↑画像中央寄り左奥に見えるのが、有名な〝しばられ地蔵〟さんです。

想像していたよりも大きなお地蔵さまだったので驚きました。

盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いてくださる霊験あらたかな地蔵尊として祀られています。
元禄14年(1701)造立と伝わっています。
諸願成就、殊に難病平癒に霊験があり、信心の者が祈願するときは地蔵尊を縄でしばり、成就した時は縄を解くことから、しばられ地蔵と称したとされています(『文政寺社書上』)
(南蔵院ホームページより抜粋拝借)

初めてお邪魔した時は、「あーあ、こんなに縛られちゃって」と思いましたが、毎年12月31日大晦日の夜、しばられ地蔵尊の縄解き供養が行われます。

しかし、なんでこんなにお地蔵さまが縛られているのか…
由来は、江戸徳川吉宗の治世、日本橋呉服商の手代が南蔵院の境内でうっかりひと眠りしている間に、反物を荷車ごと盗まれてしまいました。調べに当たった南町奉行・大岡越前守忠相は「寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙ってみているとは地蔵も同罪なり。直ちに縄打って召し捕って参れ」と命じました。
かくして地蔵はぐるぐる巻きに縛られ、車に乗せられて市中引き回しの上奉行所に。物見高い野次馬がどんなお裁きが始まるかと奉行所になだれ込んだところを見計らって、越前守は門を閉めてこう言い放ちました。「天下のお白洲に乱入するとは不届き至極、その罰として反物一反の科料を申し付ける」。奉行所はその日のうちに反物の山が出来ました。
手代に調べさせるとその中から盗品が出て、そこからたどると当時江戸市中を荒らした大盗賊団が一網打尽となりました。
越前守は地蔵尊の霊験に感謝し、立派なお堂を建立して盛大な縄解き供養を行いました。
(南蔵院ホームページより抜粋拝借)

以来、お願いする時は縄で縛り、願いが叶えば縄解きするという風習が生まれ、あらゆる願いごとをきいてくださる地蔵尊としてお祀りされています。

私もお邪魔する度に1本縛ってくるのですが、なかなか願い叶わず縄解きすることができません。
ただ単に私の努力が足りないだけなのかもしれないですね…(^^;

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業平山東泉寺南蔵院(天台宗)
葛飾区東水元2-28-35
本尊:釈迦如来
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