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野見宿禰神社

こんばんは。

昨日の雪で東京は大混乱になりましたが
みなさんは如何でしたでしょうか。
帰宅時間頃から酷くなったので、大変でしたよね…
私は逆に「早く帰りなさい」と言われたので
とっとと帰宅しました(苦笑)

さて。
今回は、両国にあります『野見宿禰神社』です。

まず、『野見宿禰神社』って何?
と思ったかもしれません。
両国、と聞いてピン!と来た方もいらっしゃるかもしれません。
そう、「相撲の神様」を祀る神社です。

創建は比較的若く、明治17年(1884)に高砂浦五郎をはじめとする
相撲関係者の尽力によって津軽藩の上屋敷跡地に建立されました。
その後、大正12年の関東大震災や昭和20年の東京大空襲で全焼します。
が、昭和28年に再建され、その際、日本相撲協会により歴代横綱記念碑も建てられました。

東京場所の際は、開催前に日本相撲協会の理事長・審判部長らが出席して例祭が行われ、新横綱誕生の際の奉納土俵入りも行われます。

ちょっと待って?
「野見宿禰」って誰よ?
ってなりますよね。
まず、「野見宿禰」は「のみのすくね」と読みます。
『日本書紀』に登場する相撲の神様とされ、出雲国(島根県)出身と伝えられています。
垂仁天皇7年7月7日、天皇の前で大和国(奈良県)に住んでいたという剛勇・當麻蹶速(たいまのけはや)と相撲と取って勝ちました。
この対戦は、『日本書紀』によると、互いに足で踏み合い、宿禰が蹶速の脇骨を踏み折って殺した、とあります。
今じゃ考えられない取組ですよね…(--;)
勝った宿禰は相撲の始祖・神様、そして勝利の神様としても崇められるようになりました。
また、対戦で勝った宿禰は、長く垂仁天皇に仕え、埴輪を考案したという逸話も残っています。
埴輪づくりや古墳の造営に携わった古代の豪族・土師(はじ)氏は宿禰の末裔といわれています。
(以上、野見宿禰神社パンフレットより拝借)

私は相撲観戦が好き(もっぱらTVでですが)なので、一度はご挨拶に行きたいと思ってました。
実際、地図を記憶に歩いていると、通り過ぎてしまいました。
思っていたよりこじんまりとした敷地で、お手入れが行き届いているとてもきれいな境内です。

Xで日本相撲協会を見ると、近隣の相撲部屋の力士の皆さんがお掃除されている様子が時々UPされています。
やはり、「相撲の神様」ということで、力士の皆さんだけではなく、近隣住民の皆さんも大事にされているんだなぁ、と感じました。

お相撲好きの方はもうお参り済みかもしれませんが
一度はお参りされてみてはいかがでしょうか。

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野見宿禰神社
墨田区亀沢2-8-10
都営大江戸線「両国」駅より徒歩5分
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