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自分自身でいるということ


その学び舎は山の中にあった。
周りには豊かな自然が広がる。
車の音や街の騒音の代わりに鳥のさえずりや風の声、川のせせらぎが聞こえてくる。
外の世界からは程遠く、ゆったりとした時間が流れていた。

そこでは、勉強をさせるということはしない。
もちろん、勉強をしたいと自分が思えばすることができる。
基本的に、1日どう過ごすのかはすべて子どもたち(小学生)が決められるのだ。
子供たちが自分で考え、なにをするのかを決断し、それを実現できる環境がそこにはある。

そこで大切にされていることの一つにこんなものがある。

「子供も大人も自分自身でいること」

"自分自身でいる"とはどういうことだろうか?


いつからか、誰にも嫌われないことを心のどこかで思いながら生きるようになっていた。
高校で過ごす僕は他人の評価を気にして、心に仮面を被り、本当の自分の気持ちに蓋をしていた。
無理にポジティブに考えようとし、負の感情を自分の中から徹底的に取り除くようにしていた。

そんな風に過ごしてきた僕には、"自分自身でいる"ということの難しさと大切さが痛いほど分かった。

自分の心の声を聞こうとしなくなると、どんどん自分を失っていく。自分が分からなくなる。そうしているうちに、人生の意味さえわからないまま一生を終えてしまう。
そんな人間にはなりたくなかった。

僕にとって、"自分自身でいる"ということは
子供たちと過ごす中で、たどり着きたいたい自分の姿でもあったのだ。

そして、その学び舎には教育や生き方に対して、熱い思いを持った大人がたくさんいた。
その人たちが語る言葉は、既成概念にとらわれず、柔軟で奥ゆかしいもので、僕の心に深く染みるものばかりだった。

この学び舎で過ごすことは僕のやりたいことであり、なりたい自分になるための時間であることを強く感じた。


"自分自身でいること"
それは、ありのままの自分を受け入れ、認めること。そして他人を評価したり、批判することはせず、相手を受け止めることであるのだとわかった。

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