鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎感想文

ゲゲゲの謎、評判が良かったので公開後数日後に見に行きました。
すごく心に残る映画だった。特典まだ間に合って良かった…!
(ネタバレおおいに含みます)

昭和31年、終戦後の日本を舞台に横溝正史的世界観の中で起こる跡目争いと猟奇殺人事件、そこに妖怪である鬼太郎の父がどんな風に絡んでいくのか?タイトルの「鬼太郎誕生」にどう繋がるのか?そこもまた見どころである。

迫力ある手描きのバトルシーンや、戦争体験の描き方、ピントがずれる演出の仕方など、見どころや語りたいポイントは本当にたくさんあり話題が尽きないが、まずは物語の概要を説明してみよう。
「二人の父たちの物語」のとおり、ダブル主人公と言っていい作りで、鬼太郎の父と人間である水木という青年が事件の起こる村で出会い、協力して謎を解き明かすというストーリー。鬼太郎の父(以下、ゲゲ郎)はいなくなった妻を探しに来ており、水木は会社での出世のために一族を探る、という利害の一致もあり協力していくのだが、しだいに腹の底を見せ合い信頼関係を築いていくのが微笑ましい。愛というものを信用していない水木と、妻への愛のためどんな苦労も厭わないゲゲ郎の対比も良い。この、幽霊族(妖怪)と人間との異種族間の友情というのが、物語において一つの大きな核であると思う。
人間が嫌いだったゲゲ郎が、人間を愛する妻と出会い、更に水木という友人を得たことにより「息子の生きる未来、そして友(人間)の生きる未来が見てみたくなった」という展開も胸が熱くなった。
物語の大筋である因習村の血塗られた一族の話はとても凄惨で、人間の愚かさや堕落がこれでもかと描かれ、精神的にもキツイものがあるが、そのぶんゲゲ郎の妻子への愛、鬼太郎が誕生することへの希望が眩しく描かれていたように思う。

そして印象的だったのが「昭和中期」の濃い描写だ。売血、煙草、高度経済成長期。そして戦争の傷跡。これらが良くも悪くもよく描かれている。
原作が水木しげる先生だけあって、兵士として戦地で地獄を味わい、帰還してからも絶望を味わった当事者としての生々しさが伝わってきた。その体験から、水木は弱者として搾取されるのではなく、何も失わないよう強者にのし上がってやると意気込み、人を信用せず生きていることが描かれる。
ゲゲ郎に「愛おしい者はいないのか」と問われ、「俺にはそんな器はない」と答えるシーンが個人的に「あ、わかるかも…」と思ってしまった。「人を愛する器がない」、もちろん背景も覚悟も比べ物にならないが、個人的にすごくしっくりきた言葉だった。人並みに生きることに精一杯で、他人を信じ、愛し、人生を共にするまでの覚悟が持てない。人を愛するのって、ある程度精神的にも平常というか、余裕がないとできないことだと思っている。戦地でのトラウマや罪悪感、絶望感に囚われている状態の水木には、その余裕はなかったのではないかと思う。水木は「弱者は食い物にされる、だからのし上がることだけ考えてきた。それ以外のことは、俺には…」と言い添えている。
実際、この先も(原作どおりなら)おそらく彼は結婚しないで生涯を終えるのだが、ゲゲ郎の言う「運命と出会う」というのは何も結婚相手のことだけではなくて、自分を犠牲にしても守りたいと思える大切な存在が現れる、ということなんだろうなと。そこが自分としてもなんだか励まされた気分になった。
6期アニメでは「鬼太郎は水木という青年に育てられた」と目玉の親父により明言されており、この映画の水木ならばおそらく鬼太郎を大切に愛情もって育ててくれたことだろう。
墓場鬼太郎(アニメも含む)では、水木は鬼太郎を育ててはいるものの終始不気味がっており、最後には見捨てられてしまう。何よりも最初の出会うシーンで、水木はまだ赤子の鬼太郎を振り払い、謝って墓石にぶつけてしまい左目を負傷させ、これがもとで鬼太郎は片目になってしまう。そんな扱いを受けて人間を助けろというのも、まぁ確かに無理があるように思う。

エンドロールが終わった最後のシーンで、水木は鬼太郎を振り払うのではなく優しく抱きしめた。鬼太郎にとって、生まれて初めて人間(水木)から与えられるものが「危害(墓場鬼太郎)」か「抱擁(6期アニメ)」か、でその後の人間への思いが変わるひとつの分岐点なのかなと思ったりもした。(墓場鬼太郎とは別物なのはわかっているけども)
鬼太郎、本当に生まれてきてくれて良かったね…。

というわけで、胸糞血みどろ因習村ながらも愛と希望の物語で、視聴後には胸がじーんとして涙が出てきてしまう。不思議な映画だった。2回見てしまった。後から前半を見返すと「これ、あの時のあれか!」という部分もあり、複数回見る人が多いのも頷ける。
そして特典イラストが本当にたまらない!これ見て完成な所あるからぜひぜひ再配布してほしい所です。

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