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シロツメクサ |1|

 
リンは黄色いベンチに座っていた。

電車が来るまでに、あと何分あるのだろうか。時計と電光掲示板のあいだを何度も往復しては見つめかえした。

汗をかいた腕を締め上げる腕時計のビニールのベルトが気持ち悪い。手持ち無沙汰を誤魔化すように、ゆっくりとベルトを外し、もう一度付け直した。

ホームにひしめく高校生の中。ちょうど電光掲示板の下には彼が立っている。

リンはひとつひとつ順番に目で追った。
電車の来る方角、彼、汗ばんだ腕時計。
一度目をそらす。
コンクリートのタイルの上のこびりついたガム。
どこってわけでもないその辺りの景色。

 夕暮れ時の太陽光がホームの中ほどまで差し込んでいた。彼の着ている真っ白なシャツがオレンジ色に染まった次の瞬間、オレンジ色の電車が灰色の影を引き連れてホームに入ってきた。彼は一歩前に出て、灰色の中に吸い込まれて行く。リンは胸の前で抱えていた鞄を強く抱き寄せた。彼が電車に乗り込んで擦り減った踵がドアの陰に消えて行く。

リンは彼の後に続いて電車に駆け込んだ。

動き出した電車のドアの窓の外を霞んだ大気がながれていた。見下ろす街は、どれも背の低い建物ばかりが広がっていて、ずっと遠くでは地平線を隠すように首都高が走っていた。逆光。みたいに外だけが眩しい。

 リンは車内を見回した。つるんとした漆黒のきのこみたいな彼の後頭部が見える。青いコードがついたイヤホンがなだらかな肩に垂れている。

彼の名前はJinだ。たぶん。一度だけカバンに名札をつけているのを見たことがある。アルファベットでJin。どんな漢字か?甚、伸、慎、仁?そもそも漢字じゃないかも。
通っている高校はもちろん違う。乗る電車の方向は同じだけれど、降りる駅も知らない。だから当然それ以上のことは何も知らない。彼がどこに住んでいて、どんな声のどんな話し方で、どんな家族がいるのかも。

ひと目惚れ。陳腐だな。と自分に冷ややかに爪を立てる。彼は他の誰にもにてなくて、何かが違っていた。リンの同級生たち、あるいは今まで出会った他の誰とも。勝手にリンは彼をジン・リーと名付けた。だって、ただ、何となく彼は、海の向こうの人みたいだったから。

#小説 #短編 #シロツメクサ

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