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紀行文 20/01/02 巻02

三渓園

位置:横浜市中区本牧三之谷

南門から

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海食崖と潮だまり
鴨(キンクロハジロなど)が漂う水面が見える.明治期まで根岸湾の海岸線はここにあったが,現在は埋め立てが進み,内水として閉じられている.

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水景と工場の景
三渓園の周辺は本牧市民・臨海公園として整備されている.湖心亭は「上海横浜友好園」の主要な景物となっている.奥にみえる製油プラントの煙突と軌を一にしている.

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園路の浸食
砂利が流され,マンホールの表函のレベルとに段差が生じている.この園路が配される谷は,三渓園の造営前から海に通じる谷であり,周囲の雨水が集まりやすい地形であることが確認される.

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排水用の古い土管
斜面を上り下りする園路の脇には土管が見られ,園路や周囲の浸食防止のための雨水排水の機能や,尾根上の施設からの排水をしていたものと思われる.落葉の堆積状況から現在でもわずかに機能しているようにもみえる.

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谷道となる勾配のある園路の浸食
降雨時には園路表面を流れる地表流の跡が観察される.侵食防止のためかオレンジのシートを敷いた跡も残る.

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中国庭園を模した景石
他山から持ち込んだと思われる奇岩あるいは景石を組んで配し,その石を門として切り通すような園路と組み合わせている.景石は,練り積みによって組まれたようにみえる.

旧松風閣へ

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展望施設の階段と手摺
付近にあった松風閣を名を借りた昭和期の展望施設となっている.機能性のほかに,修景的な配慮がコンクリート製の手摺りの意匠にもみえる.

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製油プラントほかの展望
首都高湾岸線の向こうには工場地帯が望める.松越しに林立する煙突などを展望でき,これを借景とする試みが現代的でもあり,本牧という立地がいかされている.

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段鼻の石が脱落した階段
段鼻にモルタル等で接着されていたと思われる石が経年により脱落し,補修等がされずに放置されてている.歩行性を考えれば適当ではないが,不思議な景をみせている.

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大池越しの展望
庭園のシンボルともなっている三重塔の足元も展望スポットになっており,本牧の新市街地方面を見渡すことができる.

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階段まわりのレトロな意匠
手摺の支柱,縁石と側溝,蹴上の角柱の様な立石などの各意匠から,昭和に改修された様子をとどめていると思われる.
縁石の形式も左右で異なり,溝がない方の延石は,開園当初に設置されたものの転用または残存の可能性がある.

大池へ

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大池
池には雅な名はつけられていないようである.造営前の地形図には水田の凡例が示されている.明治期の地図からは,小さな池泉が読み取られ,周囲には谷戸の地形と水利により立地した水田が広がっていたようである.庭園の規模の拡張に合わせて,20世紀初頭には,大きな池に変えられている.1970年代にはヘドロを除くため,浚渫した記録もある.

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ポンプアップと湧水
大池へ注ぐ流れの源流を辿ると,付近の尾根の下にそれらしき水源が見られる.かつては湧水を利用した流れや池であったものを,現在ではポンプで水を循環させているようである.

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流れのある水辺の修景
飛石での誘導や水際の石組などの処理,下草や植栽の刈込など,やや粗い修景と管理が見えている.限られた管理費の中で,建物や主要動線を密に管理し,周辺や傾斜地ではもとの生態系の利用するなどによって,最低限の安全面を確保しつつ,疎な管理も導入し,疎密のバランスを実現している.

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筆塚?
笠と火袋が除かれた石灯篭のようにもみえる.宝珠の大きさから筆塚の様な形式の影響もみられるが,由来は不詳である.

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特異な来歴を記録する奇石
奇石奇岩の趣味も庭園の数か所で確認できる.グロッタや洞窟までにはいたらないが,中国庭園のテイストと考えられる石の選びと配置である.四阿と合わせてる.

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モダンなカーブを描く縁石
園路の縁石が苔むし,浅い側溝からいわゆるクマザサなどの植栽へと横断の連なりがある.描かれるカーブの線形には近代的な円弧が感じられる.奥には人の丈を超えるやや大型の石灯籠と宗教施設(移築された東慶寺仏殿)がみえる.

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火袋が脱落した石灯籠
一対の灯籠のうち片方の火袋は脇に据えられている.いわゆる「くしゃおじさん」の形式であるが,笠と竿の芯がずれており,やや不安な気配を醸している.

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ボートの存在
小さな舟が伏せて置かれている.もしかしたらまだ現役かもしれない.大池に沿う園路の山際に,サザンカ?が散っていた.

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残照に浮かぶ小舟
大池に舟が浮かべられていた.舟遊びするためのものでもないらしく,池の管理用のものだろうか.時節柄,舳先には松飾りがみられた.

鶴翔閣へ

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大型の平石
三浦半島や房総半島の浦賀水道よりも先の半島先端方面から海路により当地にもたらされた石と考えられる.鶴翔閣への園路と車寄せの繋ぎに利用されており,近代的な沓脱石ともいえる.洗い出しだろうか,車寄せの方には密な砂利舗装の丁寧な施工がみえている.

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車寄せの格天井
鶴翔閣の額がやや控えめに入口に掲げられている.格子の縦横のパターンがモダンな印象をみせている.ダウンライトの配置との組み合わせも楽しめる.

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幅に余裕がある縁側
鶴翔閣には幅9尺の縁側が雁行状に廻されている.外側の3尺は板張りで内側は畳敷となり,畳の日焼け防止等の配慮がみられる.連続するガラス戸,竿縁天井を支える斜材,縁側の柱などには意匠の配慮もみえる.

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手水鉢を立てる
鶴翔閣の外構にみえる竪型の手水鉢がモダンな印象も与えている.園路も幅に余裕をもたせた敷砂利となっており,グループでの回遊なども想定されたものとなっている.

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雨落ちにも余裕
茅葺の鶴翔閣には雨落ちが外周をまわっており,芝生面からやや下げて敷砂利により雨垂れを受けている.この雨落ちにも幅があり軒下から植え込みまでの伸びやかな空間を演出している.奥には雪見灯籠がみえている.

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礎石転用と思われる手水鉢
これも鶴翔閣の外まわりとなる.やや大きいが,水鉢の穴の径や台をなす形状から柱の礎石が転用されたものとも推測される.花崗岩製だろうか,玄武岩のようにもみえる前石の黒との対照があり,楓との組み合わせも考えられている.

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柱の補修の跡
移築時か近年の改修時かは判断できないが,柱へ鴨居を継ぐ位置が,和室の通常の6尺の高さよりも上げられている.造営当時の外国人客への配慮か,近年の背の高い観光客への対応かは分からないが,和様に則りながらも,別の寸法も受容する工夫がみられる.

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天満宮の青面金剛?
大池のほとりの静かな一角に祀られていた.彫りにはリアリズムが見られ近世後期の作であろう.もともと間門というこの地域の旧家の家神あるいは土地神が祀られていたものが移されたという.

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