キモいという言葉の特性

はじめに

 先日、悪質なナンパに対して「キモい」と拒絶した女子高生が逆上した相手に暴行されるという事件がおこり、この事件をきっかけにTwitter上の一部の界隈で「キモい」という言葉の是非について盛り上がってるようなので自分もそれに便乗してみようかと思います

おことわり

 加害者や被害者に対する価値判断ではなく、あくまで「キモい」という言葉の特性についての個人的な考えなのでその辺ご理解をお願いします。

ざっくりいうと?

 とにかくこの言葉が抽象的すぎるということにつきます。そのせいで使い手と受け手の印象のギャップが大きいです

使う側の利点

 この言葉がカジュアルに使われる理由は、具体的に言語化できないプリミティブな不快感や悪印象を抽象的なまま吐き出すことができるという点にあるのではないかと思います。(僕の中では「生理的に無理」を侮蔑でコーティングして相手に全力で投げつけるようなイメージです)
 具体的に相手を侮蔑するには、相手の嫌がることや弱点を知っている必要があります。つまり不快な相手を理解しないといけないというとても不快な作業が必要なわけです。
 「キモい」という言葉の抽象さはそういう工程をまるっと省略できるのでノータイムで吐き出せるし、自分の気持ちを汚さずに済むというのが使いやすさの理由なのかなと考えます

使われる側の印象

 それに対して使われる側は「キモい」という言葉をどう感じるのかですが、抽象的すぎて「よくわからないけどとにかく侮蔑されてることだけはわかる」だと思います?(むしろそれしかわからないのでは…)そしてこれはとても理不尽な仕打ちと感じるのではないでしょうか?
 また受け手が強いコンプレックスを抱えていた場合、その抽象さ故に自分のコンプレックスへの侮辱と勝手に当てはめられてしまう可能性も考えられます。(占い師がよく使うバーナム効果に近いのでしょうか?…違うかな?)

つまり

使う側はとっさの反応だったり深い意味のない軽い気持ちで使っているのかもしれませんが、それは受け手からすると理不尽な侮辱と映り強い怒りを引き出してしまう可能性のある危険行為であり、不要なトラブルから身を守るためにもこの言葉の使い方について再考する必要があるのではないでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?