IV

 今日(こんにち)、実の東洋は探索されないままになっています。 蔑視という無知は無学の無知よりもさらに望みのないものです―というのは、無学がただ点けないだけにしておく灯りを、蔑視は絶やしてしまうのです。東洋は西洋の諸民族によって理解されるよう待っているところです、自身の内で真であるものをもたらすことができるようになるために、そして東洋自身の使命に自信を持って存在するためにも。
 ブハーラト(India)の歴史の中では、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の出会いがAkbarを生みましたが、その人の夢の課題はそれらの人達の数ある心と理想の一体化でした。その夢には一つの宗教の白熱してゆく熱中のすべてがあり、そしてそれは彼自身の生涯の内にですら、直接的にもまた広範にも結果を生んだのです。
 しかしその事実は未だ、西洋の思考が、東洋との数世紀の交流の後にも、この時代にその夢の成就をもたらすことのできる騎士道の理想を萌さぬままとなっています。それがいたるところで排除というとげとげしい垣根を高めては国を挙げての身勝手に人間の犠牲を捧げ続けています。それは西洋諸民族同士の間で羨望という共通の感情を募らせてきました、まるで彼らが自分たちの獲物をめぐって競い合い、威嚇でむき出しにした歯並びで肉食の誇りなどひけらかしてでもいるように。
 私たちはまたもどこかの国の個々人の、侵入にかかるあらゆる不信から自分たちの考えを防御しなければなりません。私が西洋諸国で出会ってきたような、その人類の能動の愛や正義と真実を理由とする殉教の精神は、私にはずっと一つのすばらしい教訓であり霊感です。私は疑いなくこう思っています、西洋はその真の偉大さを、その優秀な知の訓練へそれ程多く拠ってはいない、人の幸せというものに尽くされるその奉仕の精神にくらべれば、と。ですから私は、いち個人の感じる痛みと悲しみでもって、西洋の文明の舵を今も導いているその集団力に関して話すのです。それは熱狂です、理想などではありません。それがヨーロブ(Europe)へ成功をもたらせばもたらすほど、より高くつくと最後に―その得意先たちを放棄せねばならなくなる時に―彼女に証明することになってしまうのです。そうしてその兆候は間違い様がありません、その得意先があてにされ続けている以上は。自分が世界の二つの大々(だいたい)陸(りく)―その、最も手にあまる人類の鯨たち二頭―に対してかねてから行い続け、自国の徳質の緩やかな萎縮と頽廃をいまも引き起こしているはずの、その押しつけがましい寄生趣味を、ヨーロプが知るべき時が来たのです。
 一例として、処世訓と例示とによって自分たちの原理を刷り込む力を持つ二人の書き手、Grogan ・ Sharp 両氏による『From the Cape to Cairo』の結論の章からの以下の抜粋を引用させてください。アフリカ人への言及では彼らは率直です、こう言う時のように―「我々はすでに彼の国を盗んでしまった。なら我々は彼らの四肢を当然盗まなければ。」 これら二つの文―注意深く発話された、娯楽の風味添え―は、続く宣言の中でより明確に説明されており、そこでは埋葬された良心といったその毒気を抜かれた亡霊であるあの大層な謙虚さが、正直な言葉でなら「奴隷」のところに「強制労働」の語句を使うようにと入れ知恵しています―近代の政治家が巧んで「強制執行」の語を避け「委任」の語を使うのとまったく同じように。「いろんな形での強制労働は」と彼らは言います「私たちのその国の占領の当然の帰結だ。」またこう付け加えます「それは痛ましい、しかしそれが歴史だ。」―そうすることで、良心の感じるものなどは人類の歴史の中で大した影響などなにもない、とほのめかしながら。
 他のどこかで彼らはこう書いています「我々は商業的にその国をあきらめるべきだ、でなければそのアフリカ人たちを働かせる、そのいずれかだ。そしてこの袋小路を指摘するような立場をとってみせただけではその事実は変えられない。我々は決定しなければならない、それも早く。それともいっそ南アフリカの白人が決めようか。」著者はまた、自分たちはその世界を観すぎてしまって、「西洋文明が土着の民族に益をもたらすというどんな長持ちする信仰ももちようがない。」と告白しています。
 その論理は簡潔です―その利己主義の論理は。しかしその議論は、前提のより大切な部分を払い落すことで単純化されているのです。というのも、この書き手たちはこうした考えを持っているようなのです―南アフリカの白人にとってそれだけが重要という問題とは、ダチョウの羽根とダイヤモンド鉱山でいかに際限なく肥えるかということと、彼ら自身とは違う色をした仲間であるいち民族全体の悲惨と零落の隅々までつかってジャズダンスを踊ることだ、と。彼らは、善悪の法には、権勢ある人々のお務め用に、特別誂えで従順な種の、具合のいい容赦のようなものがあると信じているのかもしれません。彼らは、商業や政治でのとも食いは―儲かるようにと外国の諸民族で行われる―は、次第と本拠へ這い戻ってくるという事実を無視しているのかもしれません―その際限を知らない食欲の開拓が、それに役立つよう作られてきたはずのその胃袋に最後の食指をのばすということを。というのも、つまり、人は精神ある存在の一つであって、利益から利益へと飛びついではその金融馬飛びで人間族の背骨を折る生ける集金袋のごときものではないということです。そんな有様が、それでも、一世紀以上ものあいだ物事の状態であり続けたのです。そうして現在、ヨーロプ生まれの大火のその明るさによって未来を読もうと、私たちは東洋のいたるところでこう自問しているのです。「この恐ろしいまでにはびこる力はほんとうにすばらしいのか。それがないことで私たちは青あざを負うかもしれない、しかしそれが私たちの精神の豊かさを増すことなどあるだろうか。それは平和条約にいくつも署名できる、しかしそれが平和をもたらしうるだろうか。」と。

 およそ2千年の昔のことです、全権を掌握したローマがその東の属州の一つで、名もない漁民一族の素朴な教師を十字架につけて処刑したのは。あの日に、そのローマの総督は自身の食欲や睡眠に何の減退も感じませんでした。あの日そこにあったのは、片方には、苦悶と、辱め、死、そしてもう片方には高慢さの虚飾と総督邸でのお祭りです。
 そして今日(こんにち)。一体誰に対して、それで、私たちはその頭をさげるつもりでしょうか。


Kasmai devaya havisha vidhema?
(一体どちらの神に
私たちは供えをするつもりか。)

 私たちは自身のものであるブハーラトの歴史の中での一例を知っています、ある素晴らしい人格が、彼の生命と声の両方でその荘厳な魂の音楽の主音を―すべての生き物への愛を―鳴らした時のことを。そうしてあの音楽は数々の海を、山をそして砂漠を越えました。異なる気候、習慣、そして言語に属する諸民族が一緒になって引き込まれたのは、武器の衝突の中ではなく、搾取争いの中ではなく、ただ生命の調和、睦まじさと平和の中へ、でした。あれは創造だったのです。
 それを考えるとき、私たちはそこになんという思考の混乱があったことか一気に判るのです―その西洋の詩人が、東と西の違いの上に棲みながら、「決してその二つは出会うようにできていない。」と言ったときに言及したことに対して。それらが出会いの真の兆しをまだなにも見せていないというのは本当です。しかしその理由は、東洋に居る人に出会うようにと西洋がその人類を送り出してこなかったから―その仕組みばかりを寄越して。だからその詩人のそのくだりは、こんなふうにでも変えるしかありません、

人は人で、仕組みは仕組み、
その上その二つを結婚させるなんて

 わかるでしょう、お役所仕事は決して何でもない普通の人間のつながりにはなり得ないし―公式の封蝋が互いへの愛着の手段を計らうことなど決してできない―羽振りのよい鳩の巣箱からのご愛顧や、告げはしても決して話はしない印刷された回覧からの恩着せがましさを、受けとるしかないことは、人間存在にとって耐えがたい試練である、と。西洋の人々の東洋での存在感はひとつの人間の事実です。もし私たちが彼らからなにがしかを得るためにあるのだとしたら、それが法規や、行政や軍務の機構の総計程度のものであるはずがありません。人が、あれよりもはるかに多く、人に対しているじゃありませんか。私たちには西洋人その人からの直接の助けを当然に乞うための、我が人間の生得権があるのです、もしその人に私たちに与えるべき素晴らしい何かがあるのならば。それは私たちのもとへ、単に並存しているからという事実を通してではなく、その贈り物をもつような、そしてだからこそ責任があるその者の、自発的な犠牲を通じて来るべきものです。
 真剣に、私は西洋世界の詩人に、その持てる音楽の素晴らしい力すべてで西洋の人々に向けてこのことを形にして唄うように頼みます―東洋と西洋は常にお互いを探していて、それらは体力の万全さだけでなく、真実にも万全の内に出会わねばならない、と―その剣を振りかざす右の手は防護の盾を支えるその左手を必要としている、と。
 東洋は雪を戴いた山脈によって見守られ、膨大な量の水を海へ運んでいく幾多の河によって涵養された広大な平野の中にその座があります。そこでは熱帯の太陽の燃え盛る下で、肉体の生活はその活力の光を曖昧にし、その当然の要求を御してきました。そこでは人は、その存在の内なる調べとの響き合いへ隠そうと努めてきた心の、その回復ということをしてきました。日昇のまた日没のその静けさの中で、また星でにぎわう夜毎に、人は「限りのないもの」と顔をつきあわせて座ってきたのです、そこにあるものすべての心を開け放つその啓示を待って。ひとは、実現の歓喜の中でこう言ったのです、


「私に耳を傾けて、あなた方、「不死なるもの」の子どもたちよ、
天の王国に住まう者よ。
私は知った、暗闇を越えた向こうからの、その至高の人を、太陽の放射で かがやいている人を。」


 その東洋からの人、永遠への自身の信仰で、自らの魂の中で「至高の人」の触れるのにであった者―彼は西洋の人達のところへ一度も来たことがありませんか、そうしてあなた方に天の王国のことを話さなかったでしょうか。彼は東洋と西洋を真実の内に結び付けなかったでしょうか、「不死なるもの」の子どもたちみんなの間の一つの精神のつながりというその一体さの中で―すべての人間らしい人たちのうちに一つの素晴らしい人格を実現する中で。
 そう、東洋はもちろんかつて西洋ととても深く出会っているのです、その生命の成長の中で。そうした結びつきが可能になったのは、東洋が西洋のところへ創造性の理想を携えて来たからで、そしてそれが良心のつながりを破壊する熱狂ではなかったからです。その「かぎりのないもの」という神秘な意識は東洋が担って行ったものですが、西洋の人によって自らの均衡をとるために大いに必要とされました。
 他方、東洋は科学の中の自分の均衡を見出さねばなりません―西洋が東洋にもたらしうるその壮大な贈り物の中で。真実にはその空と同じくその巣があります。あの巣は構造が明確で、構築の法則は正確です―そうしてそれは繰り返し何度も変更や再建を余儀なくされるものですが、その必要は決して終わることはなくまたその法は永遠です。何世紀もの間、東洋はその真実の巣造りを怠ってしまいました。ずっとその秘密を学ぶことに熱心ではなかったのです。軌道の無い無限を横切ってみようとするのに、東洋は自分の翼だけを頼ってきました。大地を拒んできましたが、今や、嵐に殴りつけられ―その翼は傷み、自身は疲れ果て、痛ましいほど助けを必要としています。でも彼女がそこで、その空の伝言者というのはその巣の造り手とは決して会えないものだ、と言い含められなければならないものでしょうか。

(私訳)

原文は Creaive Unity  その著者は Rabindaranth Tagoreさん