その森林という信仰 Ⅳ ~これもまたVariety~

IV

 インドは敬虔な心持ちで想うのです、そして巡礼の地とみなします、自然の特別な美や壮麗さを呈しているすべての場所を。これらの地は耕作や居住になんらか向いているという点では一切本来の魅力を持たなかったのです。ここで、人が自由に、大自然を彼の必需品のいち供給源と見下ろすのではなく、自分自身を超える自分の魂を自覚するのです。インドのHimâlayasの山々は神聖です、そしてVindhyaの山地もまた。インドの壮大な川の数々は神聖です。Mânasa湖やGanges川とJamuna川の伴に流れるのも神聖です。インドは彼女の愛と信仰で、その子どもたちを取り巻く素晴らしい大自然を潤し続けてきたのです、彼女の光が彼らの目を喜ばしさで充たし、そうしてその水が彼らを清め、その食べ物が彼らに命を与え、そうしてその壮大な神秘からはその無尽の開示が絶えることなく顕れるのです、音楽の中に、香りの中に、そして色に、それら人の魂へその神秘のめざめをもたらすものの中に。インドは崇拝を通じてその世界を達成します、精神的な親交によって―そうして、彼女が熱望したものへの自由の意図は彼女の精神的な統合のその現実化に基づいていました。
 私の最近のヨーロッパへの旅で、私たちの船がアデンを発ってそうして二つの大陸の間に横たわる海に沿って航行した時、アラビアの赤く荒涼とした岩々を右手に、そしてエジプトのかすかに光を反射している砂を左手に通り過ぎたのです。それらはまるで憎しみという燃え盛る睥睨を互いに送りあっている巨大な二人の兄弟のように私には見えました、その海の涙に充ちた祈りによって自分たちの生を得たその源から分かたれたままの。
 左側の海岸には途方もない静寂の広がりが一つありました、ちょうどその右側と同じほどに、でもその二つの海岸たちが二つの異なる歴史劇を私に話しかけてきたのでした。エジプトにその発展を見出した文明化は長い世紀に亘って続いたもので、生命の情感と表現でもって念入りなまでに豊穣です、絵画で、彫刻で、神殿で、また儀式で。これはその守護神がある気高い河であった一つの国でした、その河はその国土の心臓部のいたるところにある入り江でその生命の祝祭を繰り広げたのです。そこでは人は自分自身とそれ以外の世界との間に疎外の防壁を決して立てませんでした。
 紅海のその対岸では、人を寄せ付けないアラビアの土壌に育った文明化がエジプトのそれとは相反するある性質を持ちました。そこでは人は自分の敵と荒涼とした周囲の環境の中で自分自身を孤立していると感じました。彼の神の着想はある妬む神となりました。彼の考えは自ずと分離の原則によるようになりました。それは彼の中で闘争の精神をめざめさせまたこの精神が彼を遠くまた広くへと駆り立てた力でした。 これらの二つの文明化は、人間の性質の二つの根本的な部分を象徴していました。その一つは征服の精神というものをその内に持っていました、またもう一つは調和の精神というものを。そうしてこれらの両方がそれ自体の真実と目的とを人間存在の中に持っているのです。
 二人の有名な賢者の登場人物が私たちの神話の中では描き出されています。一人は『Vashishtha』、そうしてもう一人は『Vishvâmitra』でした。彼らはどちらも素晴らしかったのです、しかし彼らは二つの異なる知恵の典型を体現していました―そうして彼らの間には対立がありました。Vishvâmitra は権威を成そうと努力しまたそれを誇りにしていました―Vashishthaはまさにその権威によって乱暴にも打ちのめされました。しかし彼の痛みや彼の喪失は彼の魂のその照明に触れることはできなかったのです―彼はそれらよりも高くに昇り、赦すことができたために。『Râmachandra』、私たちの物語詩のその偉大な英雄は、彼の精神的な生活への手ほどきをVashishthaから受けました、その心穏やな生、完成に至った人の生から。しかし彼は、彼の闘争の手ほどきをVishvâmitraから受けました、彼に悪霊を殺すように呼び掛け、断るにも魅力的すぎる武器の数々を彼に与えた者から。
 彼の二人の賢者たちは彼ら自身で文明化の二つの導き手というものを象徴していました。彼らは絶対に和解してはならないものだということが真であり得るでしょうか。そうであれば、平和と協力の時代が人間の世界に始まることなどできるものでしょうか。創造とは正反対の力のその調和です―ひきつける力と押しやる力の。それらが手をつなぐ時、その炎と格闘のすべては花々の笑顔と小鳥たちの歌になるのです。そこに彼らのうち一人だけ勝利したものと他方の負けたものがある時、それでは冷たい硬直という死か自殺的な爆発という死のどちらかがそこにあるのです。
 人類は、幾世代にも、精神的な命という素晴らしい創造に忙しくしてきたのです。人類の最善の知恵、その規律、その文学と芸術、その最も高潔な教師たちの教えと自己犠牲はすべて、このことのためにあったのでした。しかし、相反する力と力―それらのリズムをあらゆる創造に与えるその力のことですが―その調和は、人間によって彼らの文明化の中で完成されたことは未だなく、また人間の中の創造主は何度も何度も、繰り返し挫折させられるのです。人間は自分の仕事に立ち戻ります、けれども、また彼自身を忙しくします、みじめさと崩壊のただ中に彼の世界を建設しながら。人間の歴史は中断され更新された彼の憧れの歴史です。そうして人間が思い出すべき一つの真実は、したがって、こういうことです、創造の奇跡を全うするその力―相容れない力と力を『ひとつなるもの』の調和へと至らせることで―は、決して情熱ではなく、自分を制御する束縛をそれ自体の際限のなさという悦びから受け取るある愛―そのものの自己犠牲が、それ自体の内にあって尽きない豊かさのその顕われである一つの愛なのです。

(私訳)

原文は  Creative Unity  その著者は Rabindranath Tagoreさん