Intermission(本日はおやすみ)~そういえばおしゃれからすのことがあった~

春だからというだけで新しい事を自分の身の回りに集めがちではないか、それらに馴染むためのあれやこれやに取り組まなければならなくなって、気が付けば道を歩くのも最短距離の最短時間移動、頭の中では次にとる主体的行動についての考えごと(短く言えば予定)がやまず、あらゆる方向からの音があらゆる方向に元の姿のままでワタシをくぐり抜けてゆき、眼は開いていて景色を映しながら感慨はそれについて一言もない…そういうひとのところへひゃっ、と、すっかり緩んだ戦慄の弦を逆なでにして立てたような音が肩の先を行き、黄金色…が絵筆の一打のように、ぼやけた目の端をかすめていって、いまはその場にすっかり紛れてしまったらしい―初めて自分の足元に焦点が合うと、同じような色の点-いびつな輪郭の点ーがその数歩ほどの間の路上だけを模様入りにしていて、なかにはグード図法の地球の海が一斉に朝焼けを迎えたようなものも…そうしてまたそれらの間にはどこか樹木の肉質を受け継いでしなやかでこわいあの種の外殻がいくつもい平たくアスファルトに貼り付いているので、ああ!これあのかんきつの実の跡よ…と、立ち止まると、『あぁ』と頭上で、これはすぐわかるカラスの声、じゃあさっきの落下物はカラスがその電柱の上から落としたもの…という道理、ならば頭上に降ってこないうちに去るがよかろうから声の主を確かめるのは後回し、それにしても速めた足がその裏と指で景色を手繰り寄せているような錯覚がおきるのはなぜ…次の電柱の根元に半円状の同じ表現が浮き上がり、三叉路の三のそこで二の道・坂道を見下ろすと、その先二本の電柱にも同じ根本巻…えぇ?、と振り返り仰ぎ見るとカラスは今は道路わきから団地側へ奥まった家のヒマラヤスギの上に居て、なんだか自分は無関係というように遠巻きにしている…いやいやどうだろう、ワタシもその木の実が大好きだけれど、こんな時期に実っていて食べられるものだったかな…あれは冬のものだった気が…とその場を惜しみながらもその考え事がふたたび用事の移動の前向きな歩調に私の身体を追い立てる、その後頭部に飛んできてぶつかる『あ-っはっはっは。』というにんげんのわらいごえみたいなからすのなきごえ、きらりろほしが瞬く…『あ…KIn-Kan-Syoku…ね』

ご近所の庭にいくつもその黄金色の実りがある5月をいまやわたしもしっている。そうだね、電柱が木だったなら、カラスのアートはきっと目立つこともなく、全く別の結果を生んでるわけだろうから。