Intermission(ほんじつはおやすみ)~破鍋と夢のつづきを~

毎日使う土鍋に顕著なひびが入っていることは昨年の年末には気が付いていた。しかしそこはご飯炊き用のこと、かねてからの見聞に違わず、鍋は炊きながら自ずと糊をして、ひびの両岸を何とかつなぎとめていた…のだろう。ひと月も、それは余分にごはんをたいてくれたのだ。パンやうどんをはじめとする小麦食も大好きだけれど、ワタシはまだご飯を主食の日の方が多いから、この鍋が火に載せられないとするとワタシの食生活にも影響は大きい…大きい…けれど、必要というのは学習の始まりにもなったりしないか…この週末毎日のように私はフライパンでパエリアを炊いた。最初はどっちかというとリゾット風に仕上がり、そう思うと今度はパラパラ感を求めすぎて米に芯が残ったり…だが、だがだよ、どうやら多少のコツは掴んだらしい(^^ 長ネギとトマトとひじきにブロッコリ、あとは塩とオリーブオイルで味が決まる…ローリエが多すぎず少なすぎないととてもおいしい―我が家版は素朴だ。このレシピがスペイン料理レストランのパエリアになることはない…だけれど、パエリアという料理のはじまりはこんな風だったんじゃないかなと思うのだ。

そこに草の実がありました、野菜がいろいろ採れました。海辺の家には魚や貝が獲れました、山の方では肉やチーズ、森の方ではキノコや木の実が… そうしてそこに鍋が、火がありました。おいしく作っておいしくいただこうと思いました…。

必要、でことが動く手前には損なわれたものの作る空隙があった。子供の頃正方形のトレイの中を指先でカチカチと…あのパズルを思い出す。それを創造的とはまた言い難いけれど、それでも、空隙をながめているだけでは―そこにあるあそびにこころがうごかなければー物事は止まったまま、なのかもしれない。空隙のままでもそれはそのままでも大丈夫、という安心なのかもしれない。あるいはそれは惰性かもしれない…動かしてみたら違う形がみえるかもしれない。土鍋よ土鍋、君はさんざん玄米と白米を炊いた。どんなものを炊いてみたかった?

われなべにすら背を押され得る自分も、じばつせい、という五文字を大きく欠いているかもしれないが、どうやら我が家版といえそうなパエリアで人心地が着いたワタシはとっておいた古い小麦粉を引っ張り出して糊を濃く炊き土鍋を貼り合わせてみた。一晩の後それは、水を入れたらまた分解するだろうけれども、ジャガイモやトマトを盛ってもだいじょうぶそうだし、うまくするとケーキ型になってくれるかもしれないくらい―いましばらく器でいることにしたそうだ。

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